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三洋化成ニュース No.519
2020.03.13
人の手があまり加えられていない、いわゆる天然林(自然林)や、原生林などへ行くと、必ず目に入るものがある。
倒木である。
なんだつまらない、と思う人がいるかもしれないが、森では、暴風で倒れたり、「傷口」から侵入した各種細菌や菌類などに寄生されたりして、命を落とす樹木は少なくない。人間が管理している里山や雑木林や公園などで樹木が倒れたら、すぐに廃棄物扱いとなり、あっという間に片付けられてしまうに違いないが、自然の森であれば、なかなかそうはいかない。倒木は、ほかの動植物の命の糧となりながら、徐々にその体積を減らしつつ、何十年、何百年もの長きにわたって、森の底に存在し続ける。
森で、倒木とじっくり対峙したことがある人であれば(おそらくそれほど多くないと思われる)、ぼくがこれから述べる倒木の魅力について、きっと首肯してくれるに違いない。ぼくは、倒木のことを、廃棄物どころか、森の宝物だとさえ思っている。なんせ、小動物や昆虫をはじめ、わが愛する、きのこや粘菌やコケや地衣類(菌類と藻類の共生体)など、いわゆる隠花植物の格好のすみかであり、食料なのだから。
この地球上では、ほんの一部の微生物を除いて、無機物から有機物を作り出せるのは植物だけだ。つまり、地球で生きている全ての動物は、植物が作り出したエネルギーの恩恵を受けて生きている。そして、植物は、死してなお、動物や菌類などなど、いろいろな生物が生きる糧となる。そう、我々は、常に植物に生かされていると言っても過言ではない。
きのこを見るにはどこへ行けばいいですか、とよく聞かれるのだが、答えは簡単だ。どこでも!
その昔、きのこは植物の仲間だと考えられていたが(今もそう思っている人がけっこう多い)、現在では、きのこは菌類で、植物よりは動物に近い生き物であることがわかっている。きのこは植物ではないので光合成ができず、生きていくためには、外部から栄養を摂取、つまりは、何かを「食べる」必要がある。
きのこは、何を栄養としているかで、「腐生菌(生物遺骸などから栄養を摂取)」「寄生菌(動植物や菌類などほかの生物から栄養を摂取)」「共生菌=菌根菌(樹木と互いに栄養交換をする)」と、大きく3つに分けることができる。つまり、身の回りにある有機物の多くはきのこの食料となり、きのこはそんな食料のある場所から発生する。そして、きのこ=木の子、という名前からして、樹木との関係性は特に深い。
例えば、倒木は、きのこの大好物だ。植物はいわゆる難分解性物質(リグニンなど)を持っているが、自然界でそれを分解できるのは、きのこなど菌類だけ。だから、きのこを見たい人は、まず、倒木を探してじっくり見てみるといい。同じ一本の倒木でも、倒れてからの年月や状況、あるいは、季節によって、発生するきのこは異なっている。倒れたばかりの真新しい倒木を好むきのこがいれば、腐食が進んだ倒木を好むきのこもいる。春に発生するきのこがいれば、秋に発生するきのこもいる。
ぼくは、初夏から晩秋にかけてほとんど毎日、生き生きとしたきのこや粘菌の姿を撮影すべく、阿寒の森に入る暮らしを長く続けているが、飽きることがないどころか、ますます森に魅了されている。この先何年かして、足腰が弱って、縦横無尽に森を歩けなくなったとしても、それに代わる楽しみがすでにある。そう、倒木鑑賞だ。それを見越しているわけではないが、広大な阿寒の森のあちこちに、週に一度は必ず訪れて鑑賞・観察している「マイ倒木」が何本もある。
倒木の表面を端から端までなめるように目を近付けて観察すると、世界が一変する。それまで気付かなかった、小さなきのこが目に入る。歩き回る小さな昆虫もかわいい。緑一色に見えていた、コケや地衣類にいろいろな種類があることに気付く。拡大率10倍ほどのルーペで見ると、その造形の美しさや精緻さに言葉を失うこと間違いなし。気が付けば、何時間も同じ倒木の前で過ごしている。
次々にいろいろなきのこが発生して、常にぼくを楽しませてくれた、直径1メートル近くもある巨大なカツラの倒木は、今やもう、地面との見分けがつかなくなるほどに、ほとんどぺしゃんこになった。かれこれ20年の付き合いだ。そうなると、倒木でありながら、地面から発生するきのこ(主に菌根菌)が生えてきたりする。
倒木を見ることは、命の移ろいを見ることでもあり、本当に興味が尽きない。
人に言われて気付いたのだが、ぼくは、いまだに、きのこや粘菌を見つけるたびに「あ!」とか「おお!」とか声を出しているらしい。条件反射だ。うれしいのだ。「永遠に幸福でいたかったら、釣りを覚えなさい」という中国の古いことわざがあるが、それに対して、ぼくは、「永遠に幸せでいたかったら、きのこを覚えなさい」と言いたい。人生に必要なものは、きのこが教えてくれる。
文・写真=きのこ写真家 新井 文彦〈あらい ふみひこ〉
1965年群馬県生まれ。きのこ写真家。北海道の阿寒湖周辺、東北地方の白神山地や八甲田山の周辺などで、きのこや粘菌(変形菌)など、いわゆる隠花植物の撮影をしている。著書に『きのこの話』『きのこのき』『粘菌生活のススメ』『森のきのこ、きのこの森』『もりのほうせきねんきん』など。書籍、雑誌、WEBなどにも写真提供多数。
きのこには、食べると中毒事故を引き起こすものもあります。実際に食べられるかどうか判断する場合には、必ず専門家にご相談ください。