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三洋化成ニュース No.535
2022.11.28
創薬・医療における材料探索スピードアップや物流・鉄道・交通面の効率化、金融投資ポートフォリオ設計の最適化など、産業分野から日常生活まで幅広く適用できることから、世界で注目され、各国が開発を進める量子コンピュータ。これまでにない新たな技術を開発し、社会の課題解決につなげるためにはどのような考え方が必要なのでしょうか。
長年量子コンピュータに関わってこられた大関真之さんに、量子コンピュータの実社会への応用開発の経緯や、量子コンピュータが変える未来について伺いました。
-- 量子コンピュータは、スーパーコンピュータ(スパコン)などの従来のコンピュータと、どう違うのですか。
従来のコンピュータは、0または1を表す「ビット」を一つの単位として計算します。量子コンピュータは、0と1を同時に表すことができる「量子ビット」を単位として計算します。ビットをコインが表か裏のどちらかを示している状態とするならば、量子ビットはコインが回転し続けていて「表でもあり裏でもある」状態です。
-- コインが表でもあり、裏でもあるというのは、どういうことなんでしょう。
確かに、わけがわからないですよね。とにかくそういうものがあるという前提で、お話しします。1ビットは0か1を表すので、2 ビットなら「0・0」「0・1」「1・0」「1・1」の4通りがありますね。従来のコンピュータはこの4通りを順番に4回計算して一番いい組み合わせを求めるんですが、量子コンピュータは、0と1を同時に表す量子ビットのおかげで、4通りの組み合わせを同時にもつことができるので、計算が1回で済みます。10量子ビットだと、1回で2の10乗の1024通りに相当する計算が可能です。この膨大な数をうまく処理できれば、多くの計算が同時にできることになります。迷路で何通りも試してゴールするのか、複数ルートを同時並行で検討して、ゴールできそうな道を選ぶのかというイメージです。
-- 全ての候補を同時に検討できるんですね。計算が飛躍的に速くなるということはわかりました(笑)。
問題を解く処理方法の違いによって、量子コンピュータには二つの方式があるんですよ。量子ゲート方式は、量子状態にある素子の振る舞いや組み合わせで計算回路を作り、幅広い問題を解いていきます。超電導やイオントラップなどさまざまな実現手法が提案されていて、従来型のコンピュータの上位互換として期待が寄せられています。
量子アニーリング方式は、組み合わせ最適化問題を解くことに特化しています。高温にした金属をゆっくり冷やすと構造が安定する「焼きなまし」の手法を応用して問題の解を求めていきます。商用化で先行するカナダのD-Wave Systems社のハードウェア(D-Waveマシン)では、格子状に並べられた量子ビットに相互作用を設定し、横磁場という信号をかけて、量子ビットの素子全体のエネルギーが最も低くなる状態を探し出していきます。
-- それぞれの方式で得意分野が違うのですね。
はい。この二つの違いは会社組織の意思決定方法に例えるとわかりやすいんです。例えば、企業の新拠点をAかB、どちらに置くかという課題があるとします。量子ゲート方式は、経営者が社員に対して「隣の人と話し合ってください」「部署内の意見を集約してください」「地の利はどうでしょうか」などと意見の決め方を逐一細かく指示して、最終的な結論へと導く、いわばトップダウン形式。
一方、量子アニーリング方式は、社員同士が「あの人がAなら私もAかな」「わたしがBと言うと反対する人はいる?」というふうに、互いの関係性や顔色をうかがいながら、ボトムアップで物事が決まっていくイメージです。
-- 量子コンピュータはなぜ注目されているのでしょうか。
クラウド化などが進むなかで、コンピュータを含むネットワークの莫大なエネルギー消費が問題化しつつあります。量子コンピュータがスパコンに置き換わるわけではないのですが、スパコンが行うタスクのなかでも、ある種の計算は量子コンピュータで行うと、電力消費を小さくできる可能性があります。
-- 大関さんは、津波などの災害時の避難経路提案システムを考案されたと伺いました。
はい。これがD-Waveの量子アニーリングマシンを使った実用化事例として、私が世界に問いかけた最初のものです。2011年の東日本大震災では、津波から逃げる時に、避難経路で起きた渋滞が原因で逃げ遅れが発生してしまいました。そこで、交通網の整理はもちろん、どこに避難するべきかを提案してくれるシステムがあれば、少しでも被害を防ぐことができるのではないかと考えたんです。
-- 効率よく避難するための最適ルートを選択してくれるということですか。
その通りです。避難経路提案システムを開発するために、私たちは社会の課題を量子アニーリング方式で解くための計算式に置き換える、新しい方法を開発しました。量子アニーリング方式における最大の弱点は、一度に扱える規模が小さいことです。量子ビットを作るのはかなり大変なので、限られた量子ビットをうまくフル活用することが大事。そのために新しい計算方式やアルゴリズムを提案することで、ブレイクスルーを狙っています。
今は、避難経路を手元で表示できるようなスマートフォンのアプリを開発しているところです。難しいのが、使う人の気持ちに立つこと。緊急時に、アプリで「こっちに逃げろ」と表示された道が、通ったことのない道だったら、そこに逃げるかどうか迷いますよね。使う人が普段通っている道も考慮して、最適な避難経路を選択できるよう工夫しているところです。
-- 災害が多発していますから、心強い取り組みですね。
東北大学と大阪大学が連携して、どちらかの地域で地震が起こればもう一方が津波の予測や震源地の推定を行うという仕組みがあるんですよ。それを下支えしている一つが、量子アニーリングマシンなんです。
-- 大関さんが物理に興味を持ったのは、いつごろだったのですか。
中学時代はアニメーション同好会に所属して、3Dコンピュータグラフィックスで作品を作っていました。数学は得意で、原子や分子のような物質のことは興味があったし、アニメや漫画、SFを通して宇宙や科学全般は好きでした。
でも、高校で始まった物理は嫌いだったんですよ。坂道があって、積み木が置いてあるところから始まるでしょう。この積み木が滑ってどこまで行きますかなんて、なんで計算しなきゃいけないんだって(笑)。そんな様子を見てくれていた担任の先生のすすめで、高校3年生の4月から予備校に通い始めて面白い先生に出会ったんです。宇宙空間で原子がどう運動するか、原子同士が衝突した時にどうなるか、それを計算するのが物理であると。物理を物語として語ってくれた先生は初めてでした。
-- それが物理との本当の出会いだったのですね。量子コンピュータを知ったのはいつだったのですか。
大学4年生の時に西森秀稔先生の研究室に入り、量子コンピュータに関する論文を読みました。量子アニーリング方式のアイデアは、1998年に西森先生の研究室で生まれたんですよ。僕の卒業論文は、量子コンピュータを利用した、今までの計算方法とは違うコンピュータの仕組みについてでした。「こうすればもっと新しいことがわかるかも」といろいろ提案し、コンピュータで検証したのですが、バグが取れなくて結果を出せませんでした。先生には怒られましたけど(笑)、今思えば自由にやらせてくれていたんだと思います。
-- いい研究環境だったんですね。西森先生の研究室を選んだのはなぜだったのですか。
自分の専門科目のことや現役研究者の日々の出来事を、楽しそうに語ってくれる先生で、信頼できるなと感じたからです。高校、予備校、大学それぞれで、良い先生に恵まれました。
-- その先生方が、行くべき道に導いてくれたんですね。
そうですね。卒業後も同じ研究室で修士課程に入りました。修士課程では、量子コンピュータでエラーが発生した時に、間違っている箇所を検出して、それを修正する仕組みが働く限界を調べるという研究をしました。地道に数学や物理の計算方法を使って手で計算して、公式を作っていました。修了間際の12月、西森先生が「この公式は使えるね」とおっしゃって、一晩で論文にまとめてくれたんです。「一流の研究者はすげえなあ」って落ち込みました。
博士課程では、その公式に改良を加えて、さまざまな問題に使えないかと拡張を試みました。西森先生と親しいご高齢のトルコ人の先生のもとで、トルコに留学もしました。その先生は当時マサチューセッツ工科大学で教鞭をとっておられて、半年ずつアメリカとトルコで生活されていたんですよ。
-- 量子コンピュータはいつ頃から、世界で注目され始めたのですか。
2000年代前半には世界中で量子コンピュータの開発が始まりました。日本でも国家予算が使われるようになりましたが、なかなかマシンができず足踏み状態でした。博士課程の後、僕は西森先生に誘っていただいて量子アニーリング方式の大きな産官学連携プロジェクトに関わったおかげで、力を蓄えることができましたし、業界動向の論文を投稿して注目していただくこともできました。ただ、僕自身はその頃まだ量子コンピュータが使えるものになるのかどうか半信半疑でしたし、物理で商売をするには基礎研究の領域だから職もない。物理を生かして情報科学の世界で何か貢献できるんじゃないかと、京都大学情報系に移りました。
-- 量子コンピュータの分野で、順調にいっていらっしゃったんだと思っていました。
いえ、全くそうではないんですよ。しばらくはデータを扱う分野でキャリアを積んでいたのですが、2011年に水面下で開発が進められていたD-Waveマシンが完成し、2015年にはそのマシンデモを見る機会があり、処理能力の速さに衝撃を受けました。当時、京都大学から東北大学に情報科学の准教授として赴任したところで、自分らしいカラーを出した研究をするためにも量子アニーリングマシンを使おうと、舵を切っていったんです。
-- 量子コンピュータで社会問題を解決しようと考えるようになったのですね。
災害時の避難経路システムを開発したこともあり、民間企業から共同研究のお話をいただくようになりました。そのうちの一つが、大手部品メーカーの工場で部品を運ぶ無人搬送車の渋滞を緩和し、稼働率を上げたいという相談でした。実際に工場見学し、この無人搬送車を、一つひとつ動いている積み木だと考えることに。積み木が向かっていく道が、別の積み木で邪魔されているかどうかというパズルの問題に置き換えたのです。あとは問題を解くだけ。必要な無人搬送車のデータをもらって、デモンストレーションを経てシステムを完成させました。3秒に1回、渋滞しそうになったら別の道へ誘導することで、渋滞がほぼ解消されたんです。
僕は3Dコンピュータグラフィックスの素地があり、映像でイメージすることが得意なので、現場で見た映像を抽象化しました。メインで動いている物は何かを見抜く力は、物理学から学んだと思います。頭の中で無人搬送車が積み木に置き換わった瞬間や、パズルを解いた結果を現場に戻した瞬間は、ゾワッとするような感動がありましたね。
この事例は、量子アニーリングマシンを実社会に応用する突破口となり、2カ月後のD-Wave主催の国際会議で好評を得ました。
-- あらゆる工場や交通、物流の分野で、いろいろな物の動きを整理できる技術ですから、応用範囲も広いですね。
そうなんです。まず工場の中、次に街の中とステップを踏んでいけば、車が自動運転になったときの制御システムにも応用できる道筋がついたことになります。
-- 量子コンピュータを使わないと乗り遅れるという時代になっているのですね。
量子コンピュータで社会の最適化というと、すごく大きい問題のように思いますが、まずは身近な問題に目を向けて、実際に新しい技術を何に使うのか考えるのが重要だと思います。
-- これから物理を学ぶ学生たちに、どんな言葉をかけたいですか。
物理って、全ての学問とつながっているんですよ。世の中の事象を抽象化して、数式に結び付けてシンプルな形で計算して、仮説を立てて、実際の動きと整合性を取ることなので、対象は何でもいいんです。例えば吹奏楽部の子なら、きれいな音を出すためにどうしたらいいか、野球部なら変化球をうまく投げるにはどうすればいいか、経験則から学ぶだけでなく、科学的に分析する必要があります。その出発点が物理なんです。文系理系問わず、物理を知っていると物事を豊かに捉えられると思います。
-- 物理だからこそ理解できることがあるんですね。
そうですね。もう一つ、物理なら紙と鉛筆だけあれば、具体と抽象を行き来できます。僕が紙に四角を書いたとして、僕がそれを車だと思えば車なんです。
-- 量子コンピュータは社会をどのように変えていくのでしょうか。
見た目にはあまり変わらないかもしれませんが、難易度の高い計算や探索、候補の絞り込みができるようになることで、今までになかったサービスが実現できるようになると思います。特に、スマートフォン上の個人向けリコメンドサービス。今でも、服を買おうとしたら「あなたくらいの年齢の男性は、こんな色やコーディネートが好きですよ」と教えてくれます。でも、僕らがスマホである選択をした時に送信する自分自身についてのデータを読み取って、次の可能性を教えてほしいと僕は思うんですよ。コンピュータの計算能力が高まれば、「これ、もしかしたら、あなた好きじゃないですか」と、同じカテゴリのみんなに対してではなく、一人ひとりに合わせて新しい可能性を探る提案ができるようになる。大学生がいい先生に巡り合えなかったとしても、その能力を開花させられるきっかけができる。それが量子コンピュータの世界だと思っています。
-- 自分のことが全て機械に知られそうで、少し怖い気もします(笑)。
コンピュータの提案に、ドキッとしたり、心が揺らいだり、「その手があったか!」という驚きをもらえるのは、恩恵だと思います。最終的に選択するのは自分ですから、大丈夫ですよ。
-- なるほど。大関さんは今後どんな研究をしていかれますか。
量子アニーリング方式だけではなく、量子ゲート方式でも何か面白いことをやってみたいですね。コンピュータとしての性能はすごいんですが、何に使ったらいいのか誰もわかっていないんですよ。僕はこれを使ってどんなことができるかを示すので、それで事業を起こしたい人はやってくれればいい。どんどん次のネタを探して、研究室の学生に示唆を与えながら、僕自身は好きなことをやっていたいですね(笑)。よく研究室の学生にも「ちゃんとした格好をして、面白い話をしよう」と伝えています。服装やコミュニケーションにも気を使って、違う分野の人と積極的に交流して刺激を受けることで、新しい仕事や技術が生まれ、研究も楽しくなるんだと思います。
-- 技術の進歩で、未来の社会が楽しくなりそうです。本日は、ありがとうございました。
と き:2022年7月8日
と こ ろ:西新橋・当社東京支社にて