MENU
三洋化成ニュース No.540
2023.09.14
「世界一清潔な空港ランキング」1位の東京国際空港(羽田空港)において、カリスマ清掃員と呼ばれる新津春子さん。中国から17歳で渡日し、言葉の壁がない清掃の仕事を始め、27歳の時に全国ビルクリーニング技能競技会で優勝。現在は著書や講演会、YouTubeなどでも清掃の技術や知識を発信されています。
清掃の仕事を極めるプロ意識や、仕事に対する姿勢について、伺いました。
-- 羽田空港は「世界一清潔な空港ランキング」で今年も1位になっています。8年連続だそうですね。
はい。2015年はその年に開港した仁川国際空港が1位でしたが、その年を除くとランキングが始まった2013年以降全て羽田空港が1位で、今年で10回目です。
このランキングは、いつ誰がどこをどのように審査しているのかが明かされていないんですが、空港で働く全員が、お客様の満足を意識して取り組んでいる結果だと思います。羽田空港では売店のスタッフや清掃員などさまざまな職種が横でつながっていて、顧客満足の視点から指摘し合う機会があり、新たな気付きを日々の業務に生かしています。
-- 異なる職種同士で切磋琢磨しているのですね。駅や港など交通機関の施設はいろいろありますが、空港が一番清潔な気がします。
空港はその国の玄関だといます。空港の様子でその国の印象も変わってしまいますよね。お客様をおもてなしするには、清潔でないとリラックスしていただけないんです。約500人の清掃員が自分の仕事に誇りを持ち、納得できるまできちんとやり遂げるという気持ちで仕事をしています。2015年に仁川空港にトップの座を譲ってしまった時は、みんなですごく悔しがりました。でも、これを機に清潔を保つことへの意識がさらに高まり、翌年は挽回することができたんですよ。
-- 素晴らしいチームワークなのですね。職場では、そのユニフォームをお召しなのですか。
はい。夏は少し暑いですが、上下がつながっているので、高所や狭い場所などを清掃するときにひっかかったりせず、安全です。業務用の強酸性や強アルカリ性といった強力な洗剤が肌にかかるのも防いでくれます。
-- 安全面からユニフォームが選ばれているのですね。強力な洗剤を使うなどプロならではの特殊な清掃方法はあるのですか。
例えば、ギトギトに油が固まっているような汚れは、一般家庭で使う普通の洗剤では取れません。業務用洗剤で漬け置きしたり、他の道具と組み合わせて使ったりして落とします。30年かけて、清掃技術の開発や改善を進めてきました。
-- プロ仕様の道具と長年培われたノウハウが掛け合わされて、清潔な空間が保たれているのですね。街中でも外国人旅行者が増えてきたと実感していますが、新型コロナウイルス感染症の影響で緊急事態宣言が出た時期などは、どうされていたのですか。
羽田空港は一日20万人が利用する空港ですが、コロナ禍では利用者が98%減少し、空港にほとんどお客様がいなくなってしまいました。そんななかでも空港を運営する費用や水道光熱費はかかりますし、私たち社員には普段通りお給料が出ていました。仕事が激減し在宅勤務をしていましたが、空港や会社のことが心配で居ても立ってもいられませんでした。
そこで、親会社の会長に直談判。テレビ出演や、お掃除のコツを配信するYouTubeのチャンネル、アイデア商品の開発、ハウスクリーニング事業などを試行錯誤しながら進め、徐々に売り上げを上げられるようになりました。日々の業務のなかで感じる「こんな道具があったらいいのに」という気付きをもとに、企業とコラボして清掃道具を開発しています。いい道具がないと仕事の能率が上がらないですからね。
-- 会長に直談判とは、思い切った行動に出られたのですね。
1997年に全国ビルクリーニング技能競技会で優勝した時、当時社長だった現会長から、いつでも執務室に直接入ってきてかまわないと言われたんです(笑)。私が清掃の仕事をしていて困っている点は、一般家庭で掃除をする方も困っていると思うんです。特にコロナ禍では外出制限はあり、家にいる時間が多くなりましたから、汚れがたまるのも早くなり、「家をきれいにしたい」と思う人が増えたのではないでしょうか。誰でも、清潔な空間で過ごすと、心が落ち着き、会話も増えます。逆に散らかった場所には、汚れやゴミがさらに増えていってしまいます。だから、家を清潔にしておくと、健康や家庭円満にもつながるんです。たくさんの人に、便利な道具を使って良い時間を過ごしてほしいと思っています。
-- 新津さんは中国のご出身なのですね。
はい。祖父は日本人で、第2次世界大戦で中国に渡り、父は残留孤児となりました。父が中国人の母と結婚し、私は残留孤児2世として生まれました。私が子どもの頃の中国には、テレビも炊飯器も、洗濯機も冷蔵庫もありませんでした。日本と50年ぐらい差があったように思います。食べて生きていくためには、自ら行動を起こす必要がありました。子どもの時から自然に鶏の絞め方を学びましたよ。怖いとは言っていられなかったんです。近所の人たちとも協力し合って毎日暮らしていましたね。
-- 清掃のお仕事を始められたのはいつですか。
17歳の時に一家で日本に戻ったのですが、頼れる知人や親戚を見つけることができず、政府から受けられる生活保護も父が断ってしまいました。中国のお金は日本円に両替するととても少なく、すぐに底をついてしまい、仕事をする必要に迫られました。
町で電柱に貼ってあった清掃員募集のチラシを見つけて、言葉が通じなくてもできるし、体力には自信がありましたから、家族そろって清掃会社に飛び込み、ジェスチャーで「仕事がしたい」と伝えました。当時は人手不足だったこともあり、全員雇ってもらうことができたんです。最初は、他の人と一緒に自動車で一日に何カ所か回って定期清掃をしていました。
-- 人の作業の仕方を見て覚えていかれたのですね。
そうなんです。見よう見まねで一生懸命に働いて、自分の力で得た食べ物はとてもおいしく感じました。家族みんなでパンの耳やキャベツの外側の葉で食いつなぐ生活でしたが、毎日楽しかったです。人間はまずご飯を食べないといけません。生きていくためにプライドは必要ないですね。両親からは、人に迷惑をかけないこと、自分の食べ物は自分で調達することを教わりました。そのために、手に職をつけて、食い扶持を稼ぐにはどうしたらいいのか、真剣に考えるようになりました。
その後も、たくさんの会社で、さまざまな清掃の方法を学びました。職場ごとに方法が違うのに気付いて、清掃の基本や理論をしっかり学びたいと、職業訓練校にも通うことにしたんです。この頃、訓練校で講師をされていて後に上司となった恩師から勧められて、全国ビルクリーニング技能競技会に出場したんですよ。
-- 基本や理論をきちんと理解できている新津さんだからこそ全国で1位になれたのですね。
清掃の基本動作は、一つ一つに意味があるものなんですよ。羽田空港で仕事を始めた時は、建物や材質が特殊で、それに対応した清掃方法など覚えることが多くて大変でした。まだまだ勉強が足りていないと感じ、他の施設に勉強に行くなどしてさらに学びました。新しい作業は回数をこなして体に覚えさせました。この仕事は、知識をつけることはもちろん、体で覚えることも大切なんです。
-- アイデアや気付きでどんどん改善できる清掃というお仕事との出会いは、新津さんにとって運命的なものだったのですね。
そうですね。世の中では、自分の好きな仕事に就ける人は少ないですが、自分で動いて工夫すれば、どんな仕事も楽しくなると思います。仕事を楽しんで、自分に刺激を与えていくことは、生きていくうえで必要です。刺激がなければ、生きている感じがしないもの。自分から行動することで新たな人や体験との出会いが生まれたり、従来のものと新しいものとが組み合わさったりしてどんどん新しいアイデアが出てくると思います。
-- それが新しいサービスや商品の開発にもつながるんですね。
-- 新津さんが清掃の仕事を通じて学んだのはどんなことですか。
日本で学んだ、人や物への気遣いの精神は、すごくいいものですね。これは他の国にはないと思います。私は清掃をする対象を人間に例えてみるようにしています。例えば、机を拭くとき。普通は天板を拭けば終わりですが、人として考えると、表面が顔、裏面が体や足。顔を拭いてあげたら、「体や足は大丈夫かな」と見てあげたくなります。もし机がグラついていたら、次に使う人がけがをするかもしれませんよね。清掃員の役割ではないかもしれないけれど、これに気付いたのに何も報告しなかったら、私が心苦しいです。人と同じように、物の不調にも早く気付いてあげたい。そのように気持ちを込めると、仕上がりも変わってきます。
清掃の道具も使ったその日にきちんと手入れをすることが大切です。
-- そのような気遣いは、どのようにして身に付けられたのですか。
恩師から「心に余裕がなければ、いい清掃はできませんよ」と教わったのがきっかけです。それまでは、戦う相手は自分自身でしたので、自分のために仕事をしていましたが、使う人のことを考えて相手を思いやる気持ちで清掃することが体に染みついてから、次第に、お客様から「ありがとう」とか「ご苦労さま」と声をかけていただくことが増えてきました。
人や物だけでなく、自分に対しても、いたわりが必要です。ずっとフル回転で仕事をしていたら、疲れたり、体を痛めたりしますよね。若いうちは良くても、年を重ねると毎日全力で仕事をすることはできません。自分の体調が良い状態で初めて、相手のことを考えて気配りをすることができると思います。相手のできないことを助けてあげたり、自分にないものはまねしたり。こういう相互のやり取りがあるのが、とてもいいと思うんです。
-- 同僚にはどのように接していらっしゃるのですか。
私は日本に来た時に、言葉がわからず、相手に伝えたいことがあってもうまく話ができませんでした。そこでまず、自分からちょっと笑顔になって、用がなくてもあいさつをするようにしました。そうすると、相手が寄ってきてくれるんです。相手が何か大きな荷物を持っていたら、「すごいね、力持ちね」とか。まずは、ここから始めるといいと思います。
-- 後輩や部下とはどんな関係を築かれていますか。
人によって能力や体力、仕事への熱量はさまざまです。「もっとこうしたら」と私が口うるさく言っても、本人に気持ちがなければ行動に移しません。でも、実際に現場に出てわからないことや困ったことがあって、私のところに聞きにきた時に教えたことは、身に付くんです。後輩に指導する時など、責任を持つようになるタイミングも、一気に伸びるチャンスです。
-- 自主性や向上心があると、違ってくるのですね。
はい。新入社員にはもちろん基本的な仕事を教えますが、ある程度経験のある人には細かいことを逐一言いません。例えば、雨の日は湿度が高く、床のゴミやほこりを取ろうとしてもモップが重く、なかなか前に進まないんです。私はそんな時に使う道具があるんですが、自分の発想をもとに行動してもらえるように、最初はあえて黙っています。私たちは一人ひとり自分の考えを持っているので、普段と条件が違う時には自分で工夫することができると思うからです。
-- 状況を注意深く観察して、掃除の仕方を変えるのですね。
そうですね。私はハウスクリーニングも手掛けているのですが、花粉が大理石やじゅうたんについた時には、下手にこすったりすると色が落ちないのでそっと拭きます。結露の場合、力を込めて窓枠を拭くと水分とほこりが混ざっているものを押し込んでしまうので、最初の汚れは、窓に横幅があったら横から、高さがあるなら上から一方通行になるべく軽くさっと取る。その後、きれいに端まで拭けばいいんです。
自宅で焼肉をした時に一度、部屋中に紙を貼って、焼肉の油がどのくらい飛ぶか調べるという実験をしたことがあります。意外に広い範囲にまで油が飛び散ることがわかったんですよ。ほこりと混ざった油を落とすのに洗剤を使うとしたら、洗剤拭きをしてから、水拭き、から拭きで3回拭かないといけない。あまり油が飛んでいない所はお湯で拭いて、から拭きの2回で済むんです。満遍なくすべて拭くのは大変です。熟練してくると、このようなところに差が出てきます。ほかに、タバコの煙がどのぐらい流れていくかも実験しました。日頃から率先して経験を積み、最後まで仕事に責任を持つことが大切だと心掛けています。
-- 体力では若い人が勝っていても、知識や経験、これまでの積み重ねから得た判断力、細かいところまで行き届く注意力などによって、仕事の質を上げていけるということですね。
-- 今後は、どんな活動をされていくのでしょうか。
現在は役職上、羽田空港の現場で働く機会は少なくなってしまいました。しかしハウスクリーニングの現場で清掃を続けていくことで、初心に戻ることができると思っています。
また、本を作ったり、企業とコラボして清掃道具を作ったり、講演会をしたりといった活動も、時代に合わせて工夫して続けていきたいですね。全国ビルメンテナンス協会と全国ハウスクリーニング協会の講師もしているので、教育にも力を入れていきます。
本は、清掃が苦手な人向け、掃除好きな人向け、子ども向けなど、さまざまな人に向けて執筆しています。私は日本に来てから、体にやさしい掃除を教えてもらって本当に助かりました。日本でも、掃除をきちんと人に教わったことのある人は少ないと思うので、ぜひ体に負担をかけない正しいやり方を知ってほしいんです。
-- 人によって、知りたい清掃の内容も違うのですね。
家族の人数や構成によっても汚れは違いますからね。自己流で手入れしていると、物を傷つけてしまうこともあります。忙しくても短時間できれいにできる掃除や、年配の方でも楽にできる掃除の方法なども、伝えていきたいです。
-- それはぜひ知りたいです。
100歳まで生きて、80歳まで仕事をするのが目標なんです。体が弱ってきたら、その経験を本にして、次の世代に伝えて。とにかく新しいことを日々経験していきたいですね。
-- 家に帰ったら掃除をしようと思います(笑)。本日はありがとうございました。
と き:2023年4月26日
と こ ろ:西新橋・当社東京支社にて