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[vol.7] アラスカ南東フィヨルド シーカヤックの旅

三洋化成ニュース No.544

[vol.7] アラスカ南東フィヨルド シーカヤックの旅

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2024.07.11

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文・写真=探検家 関野吉晴

ザトウクジラのブリーチング

旅程:1996年8~9月 アラスカ南東フィヨルド
プリンス・ルパート~ヘインズ

 

カヤックに乗って、アラスカ南東部の自然を堪能

8月1日。プリンス・ルパートからカヤックで海に出た。これから1カ月余りかけてアラスカ南東部の沿岸水路、約800キロメートルを漕ぎ続けることになる。相棒は先鋭的なクライマーであり、ダイビング、シーカヤックでも一流のマルチ冒険家の渡部純一郎君だ。後にベーリング海峡も一緒に渡った。

カナダ内陸部とは植生ががらりと変わった。森が深い。周辺に集落がない時は、浜辺や近くの森の中にテントを張った。砂地に熊の足跡が残っていることもある。流木がたくさんあるので、料理はたき火でする。食事は、インスタントラーメンや雑煮などだ。熊のことを考慮に入れて、あまり匂いのしないものを選ぶ。おのずと脂肪分が少なく、質素なものになる。朝は早くから出発して、パドルを漕ぎながらパンをかじることが多かった。

 

 

ザトウクジラとの出会い

ハイダ、トリンギットなどのアラスカ先住民と交流しながら旅を続けた。この海峡ではザトウクジラをじっくりと見たいと思っていた。やがてその機会がやってきた。

 

左:ハイダとトリンギットが集会所に集まっているその民族衣装はアイヌ民族にも似ているように思える
右:ハイダが作るトーテムポールは子どもが生まれた時などの記念に建てる
クラン(家族や親せきで構成された集団)ごとに、決まった動物のモチーフが使われる

 

ザトウクジラが現れ、大きなジャンプである「ブリーチング」を勢いよくしてくれた。そうすると、こちらもだんだんぜいたくしたい気分になって、幻の光景とさえいわれてきたものまで見たくなる。「バブル・ネット・フィーディング」である。これは、クジラ同士の連携プレイによる魚の捕獲法だ。魚の群れの周りをクジラたちが円を描くように泳ぎ、泡を吐き出して獲物の魚たちを海面へ追い込む。

チャンスはすぐにやってきた。7頭ほどのクジラの群れを見つけて近づいていく。クジラは「シュルー」という音を立てて潮を吹き上げ、悠然と泳いでいた。しばらく泳ぎ続けた後、背中を丸めるようにして海面に躍り出る。それから尾ビレをピンと立てたまま潜っていき、ニシンの群れの下でらせん状に旋回しながら泡を出す。

泡は海面に上昇するにつれて円柱状の壁となる。壁に囲まれたニシンは上に向かって逃げ惑ううちに、大きな塊となるのだ。

クジラが潜った地点までカヤックを漕いでしばらく待っていると、機械が発するような人工的な、高音の澄んだ鳴き声が聞こえてきた。南海での交尾期の歌とは異なるメロディーだという。リーダーが中心になって歌う。1分間ほどで歌い終わると、いよいよ海面に上がってくるはずだ。海面を凝視していると、泡が噴き出てくる。たくさんの泡が集まって、水面の色が円形に淡くなる。その2、3秒後に、口を開けたクジラの顔が次々と現れた。大きく開いた口の中には、餌となる魚とともに、200リットル近い海水が飲み込まれているという。そして、くしのような歯を利用して海水を排出し、およそ50キログラムの魚を摂取するのだ。この季節、アラスカの海で、クジラは一日に約2トンの魚を食べるという。

アラスカの海は実に豊かだ。サケ、ニシン、オキアミ、タラがふんだんにいる。秋が来て寒くなると、彼らは再び約80日間かけて南の海へ戻っていくのだが、南の海には餌がない。北の海でたっぷりと食べておかなければいけないのだ。

しばらくクジラと戯れた後、私たちは北に向かってカヤックの旅を続けることにした。南東の風が強く、海はやや荒れていた。ちょうど追い風を受ける格好になって、私たちの二人艇はスピードを増した。

ふと気が付くと、カヤックの下の海が急に白っぽいエメラルドグリーンに変わった。

沖合を走っているつもりだったのだが、浅瀬だったのかと思った。だが次の瞬間、カヤックのすぐ脇に、ザトウクジラの巨大な背中が現れた。白っぽく見えたのはクジラの胸ビレだった。15メートル以上あるクジラが、カヤックの真下を通って浮かんだのだ。まるで、ファンタジーの世界だった。クジラから大きな贈り物をしてもらったような気持ちになった。

ほんの少しの間だけ私たちと並走し、クジラは姿を消した。カメラを取り出す余裕もなかったが、私は脳裏にしっかりとその光景を焼き付けた。この一瞬だけでも、アラスカ南東部沿岸をカヤックで漕いだ価値はあったと思った。

 

カヤックから撮影したザトウクジラの尾ビレ

 

世界中のあらゆる海に生息するクジラの特別な能力

クジラは不思議な動物だ。よく頭がいいといわれるが、バブル・ネット・フィーディングを見ていると、遺伝子に組み込まれた行動ではなく、学習によって獲得した採食行動に思える。

彼らは人類よりもはるかに古い歴史を持っている。化石資料からはおよそ4500万年前にパキスタン付近で生まれたといわれている。人類よりはるかに大先輩だ。そして、行動範囲が広いという点で人類ととてもよく似ている。

人類ほど地球上のあらゆる陸地に拡散し、適応した哺乳類はいない。熱帯雨林、砂漠、サバンナ、ステップ、極北など、地球上のありとあらゆる地域に移動し、驚異的な適応力で、各地に住んでいる。

適応力で陸の人類に匹敵するのが海のクジラだ。人類は陸地のほとんどの地域に広がったが、クジラは熱帯から極北に至るまで、地球上のあらゆる海に生息している。しかも驚くべきことに、クジラは一つの個体が熱帯から極北までを回遊するのだ。

人類に似ていて、特別な能力を持ったクジラに特別な感情を抱くのもわかる。しかし、だからといってクジラを食べてはいけないということにはならない。昔から生態系の一員として、クジラを殺し、食べてきた人たちもいるのだ。生態系を壊さなければ、生き延びるための捕鯨まで禁じることはない。

 

関野 吉晴〈せきの よしはる〉

1949年東京生まれ。一橋大学在学中に同大探検部を創設し、アマゾン全域踏査隊長としてアマゾン川全域を下る。1993年から、アフリカに誕生した人類がユーラシア大陸を通ってアメリカ大陸にまで拡散していった約5万3千kmの行程を遡行する旅「グレートジャーニー」を開始。南米最先端ナバリーノ島を出発し、10年の歳月をかけて、2002年2月10日タンザニア・ラエトリにゴールした。「新グレートジャーニー 日本列島にやって来た人々」は2004年7月にロシア・アムール川上流を出発し、「北方ルート」「南方ルート」を終え、「海のルート」は2011年6月13日に石垣島にゴールした。

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