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[vol.8] 世界で最も暑いダナキル砂漠を歩く

三洋化成ニュース No.545

[vol.8] 世界で最も暑いダナキル砂漠を歩く

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2024.10.11

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文・写真=探検家 関野吉晴

 

塩の採掘に向かうラクダの行列

旅程:2001年9月 エチオピア、ダナキル砂漠

 

猛暑の地で生きる敬虔なイスラム教徒たち

アファール族が住むエチオピアのダナキル砂漠は、夏には摂氏60℃近くにもなる世界で最も暑い地の一つとして知られている。熱帯に位置するダナキル砂漠は、場所によっては標高が海面より低く、海抜マイナス115メートルにもなる。アファール族はアラビア半島の南部をルーツとし、現在はエチオピアのほかに、ジブチやエリトリアにも暮らしている独自の言語を持つ敬虔なイスラム教徒だ。大人たちが礼拝を欠かさないことはもちろん、子どもたちも1日3回、1時間ずつコーラン学校でコーランを読む。

学校といっても整備された教室があるわけではなく、昼間は木陰で、夜は焚き火を囲んでアラビア文字のコーランを元気よく朗読していた。何年もの間、代々の子どもたちに読み継がれてきたのだろうか、子どもたちが手にしたコーランはみな破れたり擦り切れたりしていた。板に書かれたコーランを読んでいる子もいた。

左:ラマダン(断食月)が明けた朝 。モスクの近くにたくさんの人が集まり、笑顔を見せている
右:焚き火を囲んでコーランを読む子どもたち

 

塩の交易を通した異教徒との共生

熱帯のこの厳しい環境にも人間の営みはある。私はそこで行われている塩の交易を見るために、エリトリア国境に近いアサレ湖に向かった。塩切り場では、アファール族がつるはしで割れ目を作り、そこに先を尖らせた丸太をこじ入れて塩を掘り起こしていた。掘り出した塩は同じ大きさにそろえられる。そして、ラクダやロバの背に載せて高地に運ぶのはキリスト教徒のティグレ族だ。

塩切り場はこの土地の者たちさえも耐えられない猛暑のため、ここに泊まる者はいない。できるだけ早く塩を切り出し、日射病になる前に帰ろうとする。また脱水症を避けるために彼らはヤギの皮で作った水筒に飲料水を入れている。この水筒は保冷性に優れており、気化熱で水が熱くならないのだ。焼けるような暑さだが、乾燥しているので、短時間なら耐えられる。

ここの塩の採掘は、その多くを人的作業に頼るので、海で採れた塩と比べると高価だ。彼らに「なぜ家畜に高価なアサレ湖の塩を与えるのか」と尋ねると、「このアサレ湖から運ばれる塩のほとんどは家畜に与えられます。ここの塩を摂った家畜はミルクの出がいいんだよ」と言う。アサレ湖があるダナキル砂漠の塩は依然需要が高く、この地の塩の交易は将来も続きそうだ。

塩の採掘

貧しいなかでも満ち足りた「足るを知る」暮らし

塩掘りは乾期の一時的なものであり、アファールの人たちはそのほかの期間は家畜の放牧で生計を立てる。2001年9月11日、私はアフリカでも最も貧しい国の一つ、エチオピアを旅していた。そのエチオピアでもアファールの人々はさらに貧しい。私が出会ったアリさんも、けっして裕福というわけではない。数頭のラクダとロバ、100頭近いヤギを所有している。しかし子どもたちが多いので、経済的に楽ではない。にもかかわらず、見ず知らずの私たちに2頭の子ヤギを殺してご馳走してくれた。旅人をもてなすことが、彼らにとって大切な習慣なのだ。

「もっと家畜が増えるといいですね」とアリさんに言うと、「いや、これで十分ですよ」と答える。「えっ、これで、十分なんですか」と聞き返すと、「ええ、私には十分ですよ。神から授かった家畜をこんなに持っているのですから。それに家族みんな仲がいい。幸せですよ」とふくよかな笑顔を見せた。

余計な欲望を取り払ったアリさんの暮らしは、人間として満ち足りているものだと納得できる。欲望をあおられることで大量に消費し、物質的な豊かさの陰で大量のごみの処理に困っている私たち。忙しさに追われていつも疲れた顔をしている私たちより、アリさんのほうがゆったりとした顔をしている。文字通り「足るを知る」アリさんたちの暮らしぶりは、物質的な欲望をかきたてられ、止めどもなく広がる欲望のままに生きている私たちの対極に位置している。彼らの欲望を抑えているのは唯一神「アッラー」の存在だ。地球の人口はこれからも増加するだろうが、資源は有限であることに誰もが目を背けている。人類は物質的な欲望を抑えなければならない時代を迎えている。人類のとめどもない欲望を抑えるために、今後は目に見えないものへの畏敬の念が大きな働きをするかもしれないという予感がした。

 

アリさんの家族の女性。ヤギを放牧している

エチオピアでは9月11日が元日だ。世界中で暦は異なり、西暦だけが暦ではないと改めて考えさせられる。そしてアリさんと一緒にラジオを聴いていた時、同時多発テロが起こったことを知ったのである。アリさんの反応で印象的だったのは、「誰がこんな事件を起こしたんだろうね。ひどいことをするものだ。しかし、米国は今まで散々ひどいことをしてきたので、その天罰が下ったのでしょう。被害にあった人たちには気の毒ですけどね」という言葉だった。

アリさんは「あなたたち日本人もひどい目に遭いましたね」と言う。米国が繰り返してきた悪行のなかで彼がトップに挙げたのは、なんと太平洋戦争末期の米国による「広島、長崎への原爆投下」だった。

 

関野 吉晴〈せきの よしはる〉

1949年東京生まれ。一橋大学在学中に同大探検部を創設し、アマゾン全域踏査隊長としてアマゾン川全域を下る。1993年から、アフリカに誕生した人類がユーラシア大陸を通ってアメリカ大陸にまで拡散していった約5万3千kmの行程を遡行する旅「グレートジャーニー」を開始。南米最先端ナバリーノ島を出発し、10年の歳月をかけて、2002年2月10日タンザニア・ラエトリにゴールした。「新グレートジャーニー 日本列島にやって来た人々」は2004年7月にロシア・アムール川上流を出発し、「北方ルート」「南方ルート」を終え、「海のルート」は2011年6月13日に石垣島にゴールした。

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