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[vol.9] 「ありがとう」という言葉がない社会で

三洋化成ニュース No.546

[vol.9] 「ありがとう」という言葉がない社会で

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2025.01.15

文・写真=探検家 関野吉晴

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男たちが空のカヌーを運んでいる。祭りや結婚式の会場へと運ばれたカヌーには、
女たちが造ったモロコシ酒が、持ち寄られたたくさんのたるからなみなみと注ぎ移され、振る舞われる

物を蓄えない平等な社会で生きる

▶2001年10~11月 エチオピア南西部の
オモ川流域

私はカラハリ砂漠のサン族(ブッシュマン)や森に住むピグミー族のような狩猟採集生活を営む人々に会うことを夢みていた。物を蓄えず、互いに平等に生きる彼らの価値観に触れることができたら、どれほど素晴らしいだろうかと思った。しかし、現地での情報収集を進めるなかで、私の計画は次々と崩れていった。

サンたちは政府の政策で定住を余儀なくされ、狩猟はほとんど行われなくなったと聞いた。また、ピグミー族も農民との交流が増えたことで、純粋な狩猟採集生活をしている人々はかなり減少しているとのことだ。さらに、現地の政情不安のため、外国人が彼らの住む森に入るのも難しい状況だった。

落胆する私に、ある朗報が届いた。「純粋な狩猟採集民ではないが、物を蓄えず平等な社会を形成している民族がいる」というのだ。エチオピア南西部のオモ川流域に住む少数民族、コエグだという。今回の旅には、コエグの村を10年以上フィールドにしている日本人の文化人類学者、松田凡氏が同行してくれることになり、再び期待で胸が膨らんだ。

 

感謝の言葉や、お返しの文化がない理由

エチオピアの首都アディスアベバから車と徒歩で長い道のりを経て、ようやくコエグの住むクチュル村に到着した。村はオモ川から100メートルほど離れた場所にあり、周囲には草木が生い茂っている。村人たちは最小限の持ち物で暮らしているようで、村全体に物質的な豊かさというものが見当たらなかった。

左:石油も灯油も石炭もない村で、薪集めは子どもたちの大事な仕事
右:主食であり、酒の原料でもあるモロコシを収穫する少年。収穫するのは男性、運ぶのは女性

私が医者であると知れると、たちまち多くの患者が集まってきた。子どもから大人まで、ほとんどが38度以上の発熱があり、肝臓や脾臓ひぞうが腫れている者も多い。これはマラリアの可能性が高いと診断できた。高熱とともにせきをしている者、下痢をしている者もおり、なかにはアメーバ赤痢に感染した疑いがある者もいた。私が持参した薬を処方し、診療を始めたが、驚いたことに、治療を受けた後も誰一人として「ありがとう」と言ってこないのだ。「感謝されない」という状況に少し戸惑いを感じた私は、松田氏に相談した。すると彼は「ああ、コエグには『ありがとう』という言葉がないんです」と、あっさり教えてくれた。これまでの私の価値観が揺らぐような感覚だったが、次第にコエグの独自の社会構造が見えてきた。

筆者に、ヒョウタンに入れた蜂蜜をくれた男、マガヤ。くわえているのは、甘みがあるキビ

しばらく村での生活を続けるなかで、マガヤという男が私に、蜂蜜をたっぷりと入れた大きなヒョウタンを手渡してくれた。彼らにとって蜂蜜は森の精霊からの贈り物とされ、神聖で貴重なものだ。こんなに大切なものをもらったからには何かお返しをしなくては、と思い松田氏に相談すると、彼は「お返しをしなくても大丈夫ですよ。コエグでは物の貸し借りがないんです」と言うのだ。私はますます不思議に思ったが、村での生活を続けるうちに、コエグの「貸し借りのない社会」がどのようなものか少しずつわかってきた。

コエグの人々は物を蓄えず、将来のために物質的な備えをしない。しかし、だからといって何の備えもしていないわけではない。彼らは将来に備えるために、人とのつながりを蓄えているのだ。コエグには「ベルモ」という擬制の親族関係があり、これは義兄弟のような関係である。ベルモ関係においては、相手が困った時にはお互いに助け合うが、それは即時の返礼を求めるものではない。長期的に支え合うことを前提とした関係なのだ。

また、村には「年齢階梯かいてい集団」と呼ばれる年齢別の集団があり、これが親族集団と同様に重要な役割を果たしている。自分の親族や年齢集団だけでなく、村の外にまでつながりを広げ、他の民族とベルモ関係を築くことで、将来の困難に備えている。例えば、村の長老のパルデレは、隣接する複数の民族にベルモを持っており、困った時には彼らを頼ることができるという。

富が村全体で循環し必要な時には助け合う

コエグの人々は、物を所有しない平等な社会を築くため、富の偏りを避けている。例えば、結婚の際には婚資を支払う習慣があるが、それも村全体に分配され、個人の手に残ることはほとんどない。ある男性が娘を嫁に出す際には弾丸100発、ヤギや羊などの小家畜、発酵させた酒や蜂蜜が婚資として必要とされるが、これも一括払いではなく分割払いでよく、10年近くかかっても問題ない。そして婚資が支払われた後、その富は親族や村人に分配されていく。富が個人に集中することなく、すぐに村全体で循環するシステムだ。誰かが独り占めしてしまえば、その人は次第に村の集まりから排除され、必要な時にも助けを得られなくなる。

戦争や内戦の影響でエチオピアに安価に出回っている銃を構える男たち

村での時間が経つにつれ、私は次第にこの社会の仕組みが理解できるようになった。コエグの人々は物を蓄えることなく、いつも人とのネットワークを強固にすることで将来の不安に備えているのだ。「物をあげたりもらったりすること」と「人が集うこと」が彼らにとって最も大切なことなのだと、パルデレは教えてくれた。物ではなく人のつながりが、彼らの最も強い備えとなる。私たちが「将来に備えて貯蓄する」ことに重きを置いているのとは対照的に、彼らは人間関係を築き、困難が訪れた時に互いに支え合うことでその場を乗り越えているのだ。

左:毎日の踊り。男たちが集まってきて、男たちが踊り、次に未婚の女性が踊り始める。意気投合するとカップルが成立
右:女性から評価が高いのは、高くジャンプできる男性

 

関野 吉晴〈せきの よしはる〉

1949年東京生まれ。一橋大学在学中に同大探検部を創設し、アマゾン全域踏査隊長としてアマゾン川全域を下る。1993年から、アフリカに誕生した人類がユーラシア大陸を通ってアメリカ大陸にまで拡散していった約5万3千kmの行程を遡行する旅「グレートジャーニー」を開始。南米最先端ナバリーノ島を出発し、10年の歳月をかけて、2002年2月10日タンザニア・ラエトリにゴールした。「新グレートジャーニー 日本列島にやって来た人々」は2004年7月にロシア・アムール川上流を出発し、「北方ルート」「南方ルート」を終え、「海のルート」は2011年6月13日に石垣島にゴールした。

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