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三洋化成ニュース No.546
2025.01.15
この数年で最も注目されている技術がAI(人工知能:Artificial Intelligence)です。しかし、AはあくまでもIにかかる形容詞。「人間の仕事がAIに代替され、雇用が減少する」といったAの話が関心を集めていますが、形容詞の前にI(知能)とは何かを考えてみる必要があります。
人工知能の研究者である松田雄馬さんの『人工知能はなぜ椅子に座れないのか―情報化社会における「知」と「生命」―』を面白く読みました。松田さんは「人間の知能とはそもそも何なのか、その本質を考え直す機会を提供してくれるのがAIだ」と言います。
AIがさまざまな用途で使われるようになると、AIにできないこと――目的の設定や自己認識、精神――もまたはっきりしてくるということです。そこに本来の知能の本質があるということがわかってきた。AIという鏡に映せば、人間の知能に対する理解が深まります。
この論理はリモートワークについても当てはまります。昨今では「リモート」という形容詞ばかりが取り沙汰されていますが、そもそも「ワーク」とは何か。リモートワークもまた、仕事の本質を考え直す絶好の機会を提供しています。
リモートワークはオフィスワークを前提にしています。リモートワークの議論に関心を持つ人の多くはオフィスワーカーでしょう。リモートワークが社会に定着すると、オフィスワーカーの新しいカテゴリーみたいなものが出てくるかもしれません。昭和の新卒就職市場では、総合職と一般職というカテゴリー分けがありました。今でも金融機関などの仕事には、フロントオフィスとバックオフィスといったカテゴリーがあります。これと同じように「リアル職」と「リモート職」というカテゴリーが出てきて、これが労働市場のボキャブラリーになるかもしれません。「リアル職募集」「この仕事はリモート率70%です」とか、そういうことになっていくような気がします。
しかし、医療の前線にいる人々にしてみれば、リモートワークでは仕事になりません。工事現場で仕事をしている人、工場の生産現場や介護の現場で仕事をしている人、生活のインフラを支えている物流業界で仕事をしている人、お店で接客の仕事をしている人たちにしてもそうです。「リモートワークの消防士」では火は消せない。完全リモートの交番は頼りになりません。
考えてみれば、完全にリモートで完結する職業は、小説家とかフリーランスのソフトウェアエンジニアとか、かなり特殊な仕事に限定されています。さらに重要な事実として、この種の仕事はコロナ禍の前からもともと「リモート」だったわけです。静岡県の熱海で暮らしている小説家の町田康さんと話したとき、ご自身の仕事を「商売繁盛になるほど外に出ずに引きこもるという不思議な仕事」とおっしゃっていました。
リモートでは仕事にならない仕事というのは世の中にたくさんある。「これからはリモートワークだ」と言っても、その範疇に入る仕事というのは現実にある仕事の何割ぐらいなのか。僕を含めたオフィスワーカーがイメージしているよりも割と小さいのではないかと思います。情報技術の利用が本格化し始めていた2006年、イギリスのゴードン・ブラウン財務大臣は、イギリスに存在する「高度なスキル」を要しない仕事の数が2020年までに60万まで減ると予想しました。しかし、2021年になってもその数は800万もあります。
僕のような仕事でも、講義となるとリモートよりもリアル。やる側からするとオンライン講義は確かに楽です。かえってオンライン講義のほうがイイかな、という気になったこともあります。ただし、オフラインのほうが(主観的には)間違いなく仕事の質が上がります。要するに、効率対効果という古典的なトレードオフです。これは僕の仕事が試されるということでもあります。便利だし、移動もしなくていいし、効率の良いリモートでやってくれ――お客様がそう思うのであれば、しょせん僕の仕事の効果はその程度のものだったということです。
リモートやオンラインが普通になってきた今、僕は自分の仕事の意義や意味が改めて試されていると感じています。「リモートワークをうまくやるためには」といった方法論についての話が盛んな今日この頃ですが、リモートワークの最大の意味は、自分の仕事を再考する機会を提供していることにあります。リモートワークになって何が変わり、何が変わらないのかを、一度立ち止まって考えてみることをおすすめします。自分の仕事の価値の正体が見えてくると思います。
経営学者。1964年、東京都出身。1989年一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。一橋大学商学部専任講師、同大学イノベーション研究センター助教授、一橋ビジネススクール教授などを経て、2023年から一橋ビジネススクール特任教授。専門は競争戦略。著書に『ストーリーとしての競争戦略』『絶対悲観主義』などがある。