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三洋化成ニュース No.495
2016.05.09
公益財団法人鉄道弘済会 義肢装具サポートセンター 義肢装具研究室長、義肢装具製作課担当課長。1955年生まれ。
28歳で鉄道弘済会東京身体障害者福祉センター(当時)に就職。生活用義足の研究・開発・製作を行うとともに、独学でスポーツ用義足の研究を行い、国産初のスポーツ用義足を完成させた。現在担当する約400人の9 割は生活用義足の使用者。1991年切断者対象の陸上クラブチーム「ヘルスエンジェルス」を創設。過去3回のパラリンピックで日本選手団の義肢メカニックを務めた。
写真=本間伸彦
-- 日本には現在、義足を利用している方が何人ぐらいいらっしゃるのですか。
7万人ぐらいです。人口比で見るとかなり少ないと思います。交通事故や糖尿病、血管障害などが原因で足を切断し、義足になるケースが多いですね。
-- 初めて義足を使う方が歩けるようになるまでに、どれくらい時間がかかるのでしょうか。
通常は退院できるまでのリハビリに2〜3カ月かかります。退院しても足が安定するまで2年ぐらい通院が必要です。というのも、足を切断した時は腫れ上がって2倍ぐらいの太さになるので、それを時間をかけてリハビリをして元の太さに戻していくのです。その間、痛みを感じることなく歩けるよう、足を入れるソケットを常に調整する必要があります。
-- そうした義足を利用される方のためにあるのが、こちらの義肢装具サポートセンターですね。ここではどのようなことをしていらっしゃるのですか。
当センターは民間において国内唯一の、義肢装具の製作からリハビリに至るまで、一貫したサービスを提供する総合的なリハビリテーション施設です。診療所や入院施設もあり、医師、看護師、理学療法士、ケースワーカーと義肢装具士がチームになって、社会生活への復帰をサポートしているのが特徴ですね。
我々の基本的な考えは、歩けるようにサポートすること。車椅子は時に誰かの介助を必要としますが、義足を装着して歩けるようになるとほかの人に助けてもらう割合が減るでしょう。歩くことによって代謝も良くなるし、健康体になっていくという効果もあります。
-- 歩くことがさらなる自立につながっていくわけですね。
そうですね。障がいを持っていると、親兄弟や友だちなど周りが甘く見てくれるところがあります。自分の力で歩けるようになることで自立心を持たせるのが第一段階。そこから一歩進んでほかの人の面倒を見るという段階までいけるようになることを目指しています。
-- スポーツなどを楽しめるようになるのはいつ頃からですか。
まずは日常生活や社会生活がちゃんとできるようにサポートしていきます。スポーツをするのは、学校や仕事をどうするか、といった社会復帰の問題をクリアしてからです。スポーツを始めると自立心がさらに高まります。
-- 先ほどセンターの中を見学させていただいて感じたのは、利用者の皆さんが明るいことです。歩くことに対して前向きで、すごく誇りを持っていらっしゃるように見えました。
足を切断して間もない人は現実を受け入れられずに悩んでいます。ここに来るまでは本当に暗い日々を送っており、同じ境遇の人も少ない。結婚願望が出てくる20歳ぐらいで障がいを持つとショックは大きく、自殺したくなったという人もいます。そういうことを少しでもなくし、安心して生きていけると感じてもらえるようにするのが我々の役割だと思っています。
-- 義足とうまく付き合えるようになるまでには辛いことがあると思うのですが、そこをどんな言葉で支えていらっしゃるのですか。
やっぱり安心させてあげたいという思いがあるので、「歩けるようになるから、任せなさい。一緒にやろう」と言います。「歩けるようになるかどうかわからないけどやってみよう」とは言いません。障がいを持っている人は本当に悩みの塊みたいなもの。それを少しでも減らしてあげようと思ったら、「できるよ」と言ってあげるのがいい。まずは約束をする。「できるよ、大丈夫だよ」と先に言ってしまうんです。それを自分に課しているところはありますね。
-- 臼井さんはこの仕事に就かれた当初、障がいのある方に対して遠慮することはありませんでしたか。手足のある自分は手や足をなくした人の気持ちを理解できるのか、という不安のようなものです。
それはないとは言えないですね。しかし、義足を通してずっと付き合っていかなければならないから、逃げないで立ち向かって、ちゃんとやれば信頼関係ができてきます。自分のできることをやったという自負があれば、相手にそれが伝わって、応えてくれる関係になっていくのではないかと思いますね。義足の場合は物を作っても痛くて履けなかったらダメなんです。逃げないで付き合うからこそ、コミュニケーションができていくのだと思います。
-- 義足づくりで「逃げる」というのはどういうことでしょうか。
例えば2回、3回と作ったけれど、痛くて合わないとか、なかなかOKを出してくれないと悩みますよね。なかにはすごく細かいことを言う人もいるし、ささいなことをずっと訴えてくる人もいます。そうすると最後は、もう人格から逃げたいと思うこともあります。しかし、その人が障がいを持ってから何十年、仕事をしながら痛いのを我慢したり、家族に怒鳴ったりしているうちに性格も少し変わってしまったのではないか。そう考えると、もうちょっと付き合っていこうと思うようになる。それを耐えながらやっていると、それなりの信頼関係ができてくるのです。
-- くじけてしまう技士さんもいませんか。
若い技士は、すぐに同じようにはできません。しかし、義足の不適合で怒鳴られたり、義足を投げつけられたりというのを経験しながら、それでも適合させるための精神力を身につけていかないといけない。それはほかの仕事でも同じだと思います。認めてもらう、使ってもらうには、それなりの知恵も使わないといけないし、技術も養わないといけないのです。そういう人材を育てていくのが我々の役割だと思います。
-- 先ほどスポーツが、自立心を高めるというお話を伺いましたが、ほかにスポーツにはどんな力があるのですか。
スポーツをする時は自分の力で車椅子や義足を動かします。本人の意思のもとで動かすので、いくら車椅子に乗っていようが、義足をつけていようが、それがその人の力になって、一人の人格になってくる。それによってやる気や熱を周りに発散する力があります。
-- 周りに良い影響を与えるようになると。アスリートの皆さんがモデルになった『切断ヴィーナス』の写真集を拝見しましたが、スポーツ用義足だけでなく、普通の義足をつけている姿もカッコいいですね。体全体から生命力を発揮しているように感じました。
障がいを持った人の写真集はたぶん世界で初めてだと思います。普通の人は義足を隠しますが、スポーツをしていると、義足を見せることができるようになります。グラウンドで見せることがだんだん当たり前になって、障がいだと思っていた体が今の本当の姿であり、決して隠すものではない、それで生きていくというふうになっていく。そういう人がもっと増えればいいと思います。私がスポーツ用の義足を作るようになったのも、そういう気持ちがあったからです。
-- 義足が恥ずかしいと感じるものではなくなってくるわけですね。
私は障がいを持った人ほどスポーツをして自立してほしいと思っています。一生を考えるとやはり自立心があるかないかで、生き方が大きく変わってきます。身体能力も上がるし、協調性も育って、集団の中でコミュニケーションがとれるようになる。芸術とか音楽でも何でもいい。長い目で見れば、スポーツをして体を鍛え、アートで感覚を磨くというのがいいと思います。
-- スポーツをしてパラリンピックを目指してみようという目標を持てる人もいるでしょうね。年齢的にも「そこまでは」とおっしゃる方には、どんな目標がいいでしょう。
例えばハワイのマラソンやショートマラソンに出る、山に登る、海外旅行に行くなどの目標を持てばいいのではないでしょうか。とにかく外へ出て歩くことが大事です。
-- 何かやってみたいことを探すことが社会復帰のきっかけにもなりそうですね。
-- ところで、生活用義足とスポーツ用の義足に求められるものの違いは何でしょうか。
生活用の義足は見た目が重要です。特に女性はリアリティーを気にしますね。人間の考え方として、圧倒的に失ったものが戻ればいいと思っていますからね。スポーツ選手になるとあまりそういうことは気にしなくなり、機能性を重視するようになってきます。将来はスポーツもできて見た目もリアルな義足ができるかもしれませんね。
-- 臼井さんは生活用とスポーツ用、どれぐらいの割合で作っていらっしゃるのですか。
9割が生活用です。変わったものでは、大腿部の腫瘍で股関節から切断された女性のためのマタニティー用の義足を作ったこともあります。大きくなるおなかに合わせてソケットを調整できる義足が必要で、ちょうど妻が妊娠中だったのでおなかの変化をイメージして作ることができました。
-- それは喜ばれたでしょうね。スポーツ用ではどのような義足を開発されているのですか。
陸上競技のほか、サーフィン、アーチェリー、トライアスロン、自転車用などがありますね。
-- サーフィン用にはどのような技術が必要なのですか。
水の中でも抜けないようにするとか、浮力が働いて足が持ち上がらないように水と比重の近いものにするといった技術です。
-- 先ほど陸上短距離のパラリンピック強化選手の村上清加さんにお会いし、ソケットで太ももやお尻の部分を支え、先端には体重がかからないというのを初めて知って驚きました。
走る時には片方の足の裏に200キロの力がかかります。義足の場合は切断部分に体重がかからないようにソケット部の底を先端から少し浮かした感じで太ももやお尻の部分で支え、そこに体重をかけるようにします。そのソケット技術がちゃんとしてないと、痛くて走れないのです。トレーニングをすると筋肉がついてきますから、半年置きぐらいに調整も必要です。
-- 陸上用と自転車用では何が違うのですか。
体重を支えるソケット部はそれほど変わりません。自転車用の義足はペダルをこぐための先端の構造が違っています。
-- スポーツ用の義足に関する公的な補助はどうなっていますか。
残念ながらまだ補助はありません。100万円ぐらいかかるのですが、これだけ話題になってきても、スポーツ用の義足や車椅子は認可されていないのです。
-- 生きるためのものではなく、贅沢品ととらえられているのでしょうか。これ一つで明るさを取り戻せる人が増えるのなら、すごく必要なものだと思いますけれど。
-- 2012年ロンドン大会のパラリンピックは大成功したといわれます。2020年の東京大会へ向けて、臼井さんご自身がこれから実現したいと思っていらっしゃることは何ですか。
若い技術者をもっと育てることが大きな目標です。そして生活用義足プラスαで何かにチャレンジする人を一人でも多く増やしたい。スポーツでもいいしダンスでもいいし、ほかのことでもいい。ただ歩いて社会復帰するのではなく、それに加えてこんなことをやってみたいとか、海外へ行ってみたいとか、プラスαの目標を持てる人を増やしたい。それしかないかな。
私が主宰するスポーツクラブ「ヘルスエンジェルス」からパラリンピックの選手が出てくるに越したことはないのですが、基本的には無理なく歩けるようになることを目指しています。
-- パラリンピックに向けて選手にスポットライトが当たり始めると、選手になりたいと思う人も増えるし、選手を支える技術者になりたいという人もきっと増えてくるでしょうね。
そうなってほしいです。義肢装具サポートセンターでも二人の若い義肢装具士が私と一緒にスポーツ用義足の製作に取り組んでいます。彼らを一人前に育てることと、理学療法士なども含めたスタッフの充実も図っていきたいですね。
-- 2020年の東京大会をきっかけに大きな変化が起こると思います。これからの4年を大事にして、その先につなげていかなければならないですね。世界に触れるチャンスになるし、今まで知らなかった障がい者スポーツにも触れる機会になります。楽しみですね。
その先を見据えて、健常者が障がい者と触れ合える機会を増やしていきたいですね。特に子どもは1回の経験が一生残りますから、肌で知り、生で知ることがすごくいい影響をもたらします。そういう機会を増やすことにも取り組みたいと思います。
-- 今日は実際の施設を見学し、義足を利用している方にもお会いできて非常に勉強になりました。ありがとうございました。
と き:2015年12月2日
ところ:東京・公益財団法人鉄道弘済会 義肢装具サポートセンターにて