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三洋化成ニュース No.509
2018.07.01
普段は閉ざされている、京都の〝奥〞が開くとき。祇園祭はそんなふうに見ることもできるかもしれません。いま奥と言ったものの一つは、会所。祇園祭に関わる神事、会合、お囃子の練習、ご神体の安置、そして山鉾を身近に眺め、そこへ乗り込むための桟敷として用いられます。祇園祭を執り行ううえで、会所は欠かせない空間です。伝統的な会所の建築は、町屋のような姿。敷地の奥には、大事な懸装品や解体された山鉾の部材を保管する土蔵があります。巡行の一週間ほど前から、会所の前では山鉾を組み上げる鉾建てと山建てが始まります。普段は閉じられていた会所の表側が開いて、さまざまな物が路上に運び出され、まちの表と奥とを行き来する人の動きが生まれます。場所によっては見物客も、会所の奥へといざなわれます。ご神体や懸装品を拝見し、粽や手ぬぐいを求めるため、道から奥へと長い行列が続きます。例えば、霰天神山、鯉山、役行者山。
京都の路上が、人の動きで満ちるとき。祇園祭はまた、こんなふうに言い表せるかもしれません。山鉾が建ち始めると、車の通行は制限されます。祝祭のあいだ都市の道は、車ではなく人の側に再び取り戻されます。山鉾の無事の完成に向けて、大勢の人々が立ち働きます。
そんな山鉾町の道端に目を凝らしながら歩いてみると、実はそこに現代京都で祇園祭を執り行うための小さな仕組みが埋め込まれていることに気が付きます。
まずは車道の仕掛けから。山鉾が建てられるあたりの路面には四つの石が埋められていることにお気付きでしょうか。これは山鉾を組み上げるとき山鉾の胴の脚の位置を定める礎石。お次はそこから少し離れた路上に空いている、小さな穴。それは山鉾を建て起こすときに梃子を差し込むところ。ほかにも町境の路面には、小さな穴が複数空いているでしょう。それは山鉾の名を黒々と書き入れた灯を、町の辻に立てるため。
続いては町屋の二階あたりに目を移して、歩いてみましょうか。それはちょうど囃子方などが山鉾に乗り込む高さ。山鉾へ移るには、会所などの二階から小さな橋と階段を架け渡します。ですが、町屋の二階から山鉾に乗り込めるような会所などはもうかなり少ないのが現代の京都。当世の姿、その一。それはマンションの二階から山鉾に渡るタイプ。鉾が組み上がるとバルコニーの柵がぱかっと開き、橋が架かります(菊水鉾)。長刀鉾では四条通のアーケードの屋根が一部ぱーんとスライドして、そこに鉾が建てられます。会所は鉄筋コンクリート造の建物。会所がオフィスビルの二階(鶏鉾)にあることも。
四条通ではまた、普段は車道の上に張り出している交通関系設備が度回転して、山鉾の通行のために空中を譲ります。
中断を含みながらも、平安時代から千年以上にわたって続いてきた都市祭礼、祇園祭。毎夏繰り返されてきた、欠かすことのできない京の営み。路傍に散らばるひそかな仕掛け、動的な仕組みは、現代都市・京都で祇園祭を執り行っていくための、さまざまな調整機構なのです。