MENU
三洋化成ニュース No.515
2019.07.01
バイオ・メディカル事業本部
バイオ企画部 ユニットマネージャー 川端 慎吾
[お問い合わせ先] バイオ・メディカル営業部
世界一の長寿国である日本はこれまでにない超少子高齢化社会に突入している。しかし、近年では平均寿命ではなく、心身ともに健康的に生活できる「健康寿命」を延ばすことが重要とされている。日本では健康寿命は平均寿命より約10年程度短いといわれている1)。健康寿命を短くする(要介護になる)因子としては運動器の障害が2割を占め、そのなかでも「関節疾患」が大きな割合を占めている(10.9%)。
高齢者の「関節疾患」で最も多いのは、変形性関節症(OsteoArthritis:OA)である。OAを有する人数は2,530万人とされ、そのなかの約800万人が痛みなどの症状を有するとされている。変形性膝関節症(膝OA)は、加齢や外傷によって引き起こされる軟骨の欠損、半月板の損傷、前十字靭帯の損傷から続発して生じる。特にクッションの役割を担う半月板の損傷は膝OAの大きな引き金の一つと考えられており、できるだけ元の状態に修復することで膝OAを予防することができる。しかしながら半月板は修復が困難と認識されている。
創傷治癒材料として人工タンパク質であるシルクエラスチンの用途開発を進めている当社と、膝関節疾患に長く携わり、膝OAの予防、治療に努めてきた国立大学法人広島大学整形外科学教室は、シルクエラスチンが半月板再生材料として活躍する可能性があると考え、共同開発を行っている。本稿では、シルクエラスチンの特長や半月板再生材料としての開発状況並びに今後の展望を紹介する。
膝関節には、骨の周辺にある靭帯、腱、筋肉以外に、関節が摩擦なく動くように骨の表面を覆い、弾力のある「関節軟骨」や、膝関節の衝撃を吸収するクッションの役割を担う「半月板」などがある。半月板はその名の通り半月の形をしており、膝の内側、外側それぞれにある(図1)。
関節軟骨や半月板は、摩擦や衝撃を低減して関節を滑らかに動かすために重要な組織であるが、加齢やスポーツなど、繰り返しの負荷が原因で損傷・変形してしまう。これらの組織が損傷・変形してしまうと、歩行時の痛みやひっかかり感を感じる、曲げ伸ばしが全くできない状態になる、炎症を起こし水や血液がたまるなどさまざまな症状を引き起こす。
人間の身体には本来、組織修復能力が備わっているが、血液やリンパ液に乏しく、常に高い負荷のかかる関節軟骨や半月板は、一度損傷すると非常に修復が困難な組織として識されている。関節軟骨については、近年患者自身の細胞(自家細胞)療製品が開発されているが、半月板の修復・再生についてはまだ再生技術は確立されていない。
現在、半月板の損傷・変形に対しては、「関節鏡視下半月部分切除」*により半月板を切除する対症療法が主流である(図2)。しかし、半月板の切除は一部であっても膝の機能に大きな影響を及ぼし、後に膝OAを生じて曲げ伸ばしや歩行が困難になる原因になってしまうことがわかってきており、できる限り半月板縫合術による修復が試みられている。しかし、損傷の程度や範囲によって縫合術が不可能な場合も多い。また、縫合術が行えた場合でも、もともと治癒能力が低く変形も加わった半月板の治療には限界があり、完全に治癒することは困難であった。
このような状況のなかで、当社と広島大学整形外科学教室は、半月板修復を促進させる環境を提供できる「移植基材」として、シルクエラスチンが有効ではないかと考え共同開発を行っている。さらに広島大学で開発中の自家組織(自家細胞む)を有効に活用できる“細切断半月板組織”を組み合わせることで、より簡便かつ効果的(有効性、安全性ともに)な半月板損傷治療技術の確立を目標としている(図3)。
*膝関節を2カ所数ミリずつ切開し、片方に関節鏡を入れ、もう片方から手術用の器具を入れて損傷部を切除する方法
シルクエラスチンは、天然由来のタンパク質であるエラスチンとシルクフィブロインを模倣し、遺伝子組み換えによって作製された人工タンパク質である(図4、5)。分子内にエラスチン由来配列を多く含むため、細胞親和性(炎症を起こさずに皮膚になじむ特性)が高く、かつ弾性(皮膚にハリを与える特性)に富むことから、創傷治療に適していると考える。シルクエラスチンは水溶液中で、低温ではシルクフィブロイン由来配列の水素結合により凝集しているが、温度上昇により水素結合が弱まり、親水性の高いエラスチン由来配列が水分を構造内部に抱き込んだまま膨潤することによってゲル化する(図6)。一度ゲル化したシルクエラスチン水溶液は、液体に戻ることのない不可逆なゲル化物である。このゲル化物は、皮膚を含む軟組織に近い弾性を有する。さらに、当社は独自の界面制御技術により、シルクエラスチンをさまざまな密度、厚みで加工可能なスポンジ形状(シルクエラスチンスポンジ)やフィルム形状(シルクエラスチンフィルム)に加工することを可能にした(図7)。これにより、移植基材としての生物学的、力学的環境を最適化できると考える。
今回、小動物を用いて移植基材としての組織学的評価を行った。日本白色家兎半月板の前角に径2mmの欠損モデルを作製し、この欠損部にシルクエラスチンスポンジを移植した(図8)。対照群として、欠損のみを作製したものと比較を行った。術後4週の時点で対照群ではあまり組織形成が進んでいないが、シルクエラスチンを用いた移植群では欠損部における組織の充填が確認でき(ヘマトキシリン・エオジン染色)、軟骨基質を十分に発現(サフラニンO染色で濃染)する再生組織を確認することができた。
半月板修復を促進させる環境を提供できる「移植基材」としてシルクエラスチンの有効性が確認できた。また、広島大学では患者自身の半月板組織をシルクエラスチンと同時に移植する方法も確立中であり(図9)、これまで切除、廃棄されていた半月板組織をその基質、細胞ごと半月板損傷部に移植するという点で、世界中でこれまでに報告のない独創的なアプローチであるといえる。このアプローチは培養を行わないため、培養後の再手術が不要で、一度の手術で済むことも利点と考えられる。また、半月板縫合術にこのアプローチを追加すると、より良い半月板修復・再生が期待できる。
本開発は国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)の平成30年度医療分野研究成果展開事業「産学連携医療イノベーション創出プログラムセットアップスキーム(ACT-MS)」に支援いただき、広島大学とともに推進している。当社はセットアップ企業として、今後も広島大学と協力して非臨床データの取得を経て、臨床POC(Proof of Concept)を確立させていく。さらに、半月板再生を足がかりに膝関節症の根治を目標としたトータル治療ソリューションの提供を目指す。
また、シルクエラスチンの特長を活かし、京都大学と共同で床ずれや下腿難治性皮膚潰瘍などの創傷治癒材の開発も進めている。今後も新規医療材料としてのさまざまな用途展開を進め、バイオ・メディカル事業の拡大を図っていく。
参考文献
1)厚生労働省「健康寿命のあり方に関する有識者研究会報告書」(2019 年3 月)