-- 海外の映画を楽しむなら、その言語で味わうのが一番いいと思いますが、そうもいかないので、字幕が頼りという方が多いでしょう。字幕をつくる時に心がけておられることはどんなことですか。
映画の画面は、考え抜いて構成された一つの大きな絵です。そこに無理に日本語の文字を入れるわけですから、画面とのバランスは気にします。
-- 英語を日本語にただ訳せばいいというわけではないんですね。
そうです。文字数にも制限があり、なるべく短くしないといけません。
-- 制限とは、どのくらいですか。
字幕では、人は1秒に3文字しか読めないといわれています。耳で聞くとそのまま脳に入るけれど、字は読んで理解するという手間がかかるからです。それに、観客が一番観たいものは映像です。3秒のセリフなら10文字以内で表現する、これは決定的に大切なことです。
-- セリフを訳すだけでなく、かなり短くしないといけないのですね。早口な俳優がいたら大変です。
俳優は関係ないです。俳優は役を演じているだけだから、早口の役をやれば早口でしゃべりますよ。トム・クルーズではなくて、イーサン・ハントのセリフをつくるんです。
-- なるほど。一度日本語に訳して、それから字幕にするのですか。
いいえ、直接字幕にします。一本の映画は、だいたい一人で、一週間ほどで全てつくり終えなければなりませんから、あまり時間をかけられません。
-- スピードも必要なのですね。どのように翻訳されるのですか。
訳す時は、頭の中でいつも芝居をしています。そうしないと、セリフが出てきませんから。恋人同士が出てくれば、まず男の気持ちになってしゃべって、今度は女の気持ちになって答えて。俳優さんは1人の役だけやればいいけれど、私は100人いたら100人の気持ちになってしゃべらないといけません(笑)。
-- では、全て想像力で演じられているんですね。
言葉を機械的に移し変えるのではなく、想像力や創造力、共感する感性が必要です。これはコンピューターにはない、人間だけが持っている素晴らしい能力だと思います。私が高校生の時に観た『第三の男』という映画で「今夜の酒は荒れそうだ」という実にかっこいいセリフがあるんです。英語では何と言っているのか気になり、繰り返し観ながら耳をそばだてていると「I shouldn’t drink it. It makes me acid.」。直訳すると「私はこれ(酒)を飲んではいけない。これは私をacid(不機嫌)にするから」という意味です。直訳せずにセリフのエッセンスをうまく日本語に置き換えていて「これぞ名訳」と感動しました。
-- 絶妙な表現ですね。戸田さんが担当された字幕のなかで、「これはうまく翻訳できた」と印象に残るのはどんなセリフですか。
それは観た方が判断することです。私は、なるべく観客には、字幕に時間や集中力を使わせたくないんです。字幕なんか意識せず「トム・クルーズが、自分にわかる言葉でしゃべってくれた」と錯覚を起こすほどのがいいですね。映画を撮っている監督や俳優は誰も、画面の下の方に日本語の字が出るなんて思っていませんから。
-- 本当は俳優の言葉で楽しみたいですが、それができないからこその字幕ですものね。
「あれっ、今の字幕、なんて書いてあった?」と視線がそちらにいってしまうなんていうのは、字幕として絶対にいけないことです。字幕を読んでいることを意識しないくらい、映画にのめりこんで「面白かった」「感動した」と言ってもらえるのが一番ですね。
-- 字幕は独特な書体ですが、昔からあのような字だったのですか。
昔は、専門の職人さんが一本当たり千何百万字という文字を、一文字ずつきれいに手書きしていたんですよ。今は彼らの字がフォントになって使われています。
トム・クルーズとともに
言語や文化の壁を越えて伝える
-- 海外にも字幕を読む文化はあるのですか。
いいえ、海外では吹き替えが普通で、字幕が主流というのは日本だけです。吹き替えの声優を集める予算がない小さな国では字幕を付けることもあるけれど、日本は唯一、観客が吹き替えよりも字幕を選んだ国なんですよ。
-- そうなんですか。なぜ日本人は字幕を好むんでしょう。
日本語はとても読みやすい言語だからです。英語のスペルはどうしても長くなるけれど、漢字はパッと見ただけで意味が伝わる素晴らしい文字。そこに柔らかい平仮名も付いて、とても読みやすいんです。もう一つ、日本人は俳優の声を聞きたいという本物志向も強いですね。それを伝えると俳優も喜ぶんです。声も演技の一部ですからね。
-- なるほど。漢字をうまく使えば、字幕の文字数も短くできそうですね。
今は、漢字を読めない若者が増えて、苦労しています。映画会社から「この漢字は観客が読めないから平仮名にしてください」と言われるんだけど、平仮名ばかりだとどこで切れるのかわからなくて読みにくいでしょう。漢字があるから字幕が締まるんですよ。だから、闘います(笑)。
-- 大変ですね(笑)。
私は小学生の頃から洋画を観始めて、当時吹き替えはないから、字幕の漢字が読めないことも多かったけれど、それでも楽しくて。字幕でずいぶん漢字が読めるようになりました。教科書で習うよりも面白いですしね。
-- 楽しんで観ていたものからは、たくさんのものを吸収できるんですね。そして今は、英語のセリフを聞き取れるようにもなった、と。
いいえ、そんなことないですよ。台本を読むから何を言っているかわかるんです。きちんとした英語を話してくれれば少しはわかるけれど、マフィア同士がしゃべっていることなんて、わかりっこないでしょ。日本語でも、特殊な業界の話をいきなり聞いても全部わからないですよね。
-- 言語だけでなく、文化の違いもありますものね。
一番大変なのはジョーク。ほぼ翻訳不可能です。泣いたり喜んだりという感情は、言葉や人種や宗教が違っても伝わるけれど、笑いだけは、文化という下敷きが絶対に必要なんです。特にダジャレは言葉の遊びだから「カレーは辛え」を直訳して「カレーはスパイシーだ」なんて言っても笑えないでしょう。だから、セリフの多いコメディ映画は難物ですね(笑)。
-- 語学だけでなく、たくさんのことを知らないと、字幕の翻訳はできないのですね。
映画で取り上げているテーマについても勉強する必要がありますし、いろいろな本を読んだり、自分で書いたりして日本語の勉強もしています。近道はないから、こつこつと積み重ねるしかないですね。
-- 観客もそのレベルに追いついていかないといけないですね。
でも、日本人は昔から、日頃接することのない外国の文化を洋画で学び、楽しんできた国民です。映画を観て初めて知ることもたくさんあるでしょう。海外の人だって、日本のことをよく知らなくても、黒澤映画を高く評価しています。映画を通して気軽に、いろいろな世界に触れてほしいですね。
20年待って扉が開いた、憧れの職業
-- なぜ、字幕翻訳者になろうと思われたのですか。
私が子どもの頃、戦後の東京は一面の焼け野原でした。そんななか、母や親戚に連れていってもらって外国の映画を観ると、本を読んで想像していた華やかな外国の世界が目の前に広がるんです。カルチャーショックを受けて、すぐに夢中になりました。中学の時に、面白い授業をする英語の先生に出会ったのがきっかけで英語に興味を持ち、津田塾大学へ進みました。卒業を控えて、字幕翻訳者になりたいと考えたんですが、誰がどこで字幕をつくっているのか、どうすれば字幕の仕事ができるのか、見当もつきません。もちろん映画業界のコネもゼロ。狭き門どころか、門がないんです。
-- どのようにアプローチされたんですか。
映画の終わりにクレジットされる名前を頼りに、字幕翻訳の先駆者である清水俊二さんに、大胆にも手紙を出しました。清水先生にお会いすることができ、その後は毎年暑中見舞いや年賀状で、「字幕翻訳者への夢は捨てていません」とアピールしました。フリーの翻訳者になってからは子ども向けアニメの輸出作を英訳する仕事を紹介していただいたり、字幕のつくり方の基本を教えていただいたりしました。でも、実際に字幕の仕事に就けるまでには20年かかりましたね。
-- それは長いですね。
映画会社で英文の手紙をタイプするアルバイトをしていた30代の頃、映画俳優が来日することになり、その通訳を頼まれました。当時はプロの通訳がいなくて、英語の手紙を書いている私なら通訳ができるだろうと思われたようなんです。
-- その時は、どんなお気持ちでしたか。
「あなた、ご冗談でしょ」って。英語の読み書きはできても、外国人と話したことはなかったんですよ。断ったんだけれど、ほかにいないからと言われて、初めて私が英語をしゃべったのはその記者会見でした。
-- いきなり重要な場に出されてしまったんですね。
大勢の人の前で緊張して、もう、めちゃくちゃですよ。なのに、次もまた頼まれてしまったんです。人前でしゃべるのは嫌だし、英語はへたくそだし、でも、ここで断ると字幕の仕事につながらないと思って、仕方なく引き受けました。
-- 字幕をつくるという目標のために通訳を続けられたんですね。
本当に赤恥をかきつつやりました。ただ、それまで雲の上の人だった映画俳優に会えるのはうれしかったですよ。映画ファンにとって、そんなチャンスはないですもの。
-- 何度も通訳を務められたということは、戸田さんが頼りにされていたということですね。
会話力はゼロだけれど、映画が大好きでいろいろ知っていたから、下手な英語でも話は通じるんですよ。俳優の名前を全部知っていたり、映画の原題と日本語の題がすぐつながったり、そういうところが重宝されて、通訳をどんどん頼まれるようになりました。字幕の仕事は全然来なかったけれど(笑)
-- 通訳で忙しくなられたんですね。
そのうちにフランシス・コッポラ監督に出会い、通訳をしたり撮影現場に立ち会ったりしたのが縁で、大作『地獄の黙示録』の字幕を手がけることができました。その時は40歳を過ぎていましたよ。
ロバート・デニーロとともに
名だたる名優たちとの心の絆
-- 俳優へのインタビューに、よく通訳として同席されていますね。ずっと憧れていた字幕の仕事で忙しくなられても、通訳を続けているのはなぜですか。
通訳といっても、英語をしゃべれれば誰でもできるわけではありません。映画という特殊な世界のことをよく知る必要があるから、どうしてもできる人が少ないですね。それに私も、いろいろな人に会いたいし、どんな人か知りたいんです。今まで延べ1000人くらいの素晴らしい映画監督や俳優に会ってきましたが、嫌な思いをしたことがないくらい、みんなとてもいい人たちなんですよ。だから字幕が忙しくなっても、時間をやりくりして通訳を続けました。
-- さまざまな監督や俳優に通訳として指名されています。彼らに接する時にどんなことに気を付けていらっしゃいますか。
監督や俳優だけでなくあらゆる人に、予備知識を持たずに接するようにしています。ロバート・デ・ニーロが来日した時は、気難しい人というイメージがあったから、みんな気を遣って、機嫌を損ねないように身構えていました。でも実際に、ご本人に会ってお話すると、本当に優しい人なんですよ。
-- みんなが持っているイメージとは違う方だったんですね。
相手のことを思い込みで判断せず、自分の目で確かめるのが大切だと感じましたね。それに俳優たちは、スターだと仰ぎ見られるのをとても嫌がるんです。実際に会う時は、「自分はこういう人間です」と、裏表をつくらずにあっけらかんと出して、それ以上にもそれ以下にも見せない、これを徹底しています。
-- でも、やはり映画スターがいらっしゃると思うと、丁重にお迎えしなければならないような気がしてしまいますが……。
それはやっぱり、ハリソン・フォードに初めて会ったら、私だって緊張しますよ。でも、10分話をすると、本当に普通の人なんですよ。
-- 本当ですか?
当たり前でしょう、みんな普通の人ですよ。もちろん人間だから、それぞれ人柄は違います。特別な目で見て特別な人だと思うと、相手だって付き合いにくいでしょう。
-- 仕事以外でも、親しくしていらっしゃる方も多いのですか。
何度も会って、気心が合うと感じる人とは、お友達としてお付き合いしますよ。ロバート・デ・ニーロに頼まれて、一家の日本旅行の手配やアテンドを一人でしたこともあります。でもスターだから仲良くしているわけではないし、普通のお友達もたくさんいますけれど、まったく区別しません。みんないいお友達です。
-- お会いになった俳優の皆さんに共通していることはありますか。
みんな、仕事を愛していますね。映画の仕事が三度の飯より好きだという情熱を持って、たゆみなく努力を続けています。映画のクレジットを見ると、何千人もの人が関わって一本の映画が完成しているのがわかるでしょう。監督やスターには、その大所帯を引っ張っていくリーダーシップや人望も問われます。その生き方を見ていると、とても触発されますね。
-- 本当にすごい方々なんですね。
幸いにも、私も好きなことを仕事にできました。自分のやりたいことができるのは、幸せです。
-- これからは字幕翻訳者の方に感謝しながら、俳優の声と映像に集中して、映画を味わいたいと思います。貴重なお話をありがとうございました。
と き:2019年3月29日
ところ:東京都内のご自宅にて