エジプト考古学者
河江 肖剰〈かわえ ゆきのり〉 Yukinori Kawae
1972年兵庫県生まれ。名古屋大学高等研究院准教授。カイロ・アメリカン大学エジプト学科卒業。2012年名古屋大学で歴史学博士号を取得。ピラミッド研究の第一人者マーク・レーナー博士のチームでギザの発掘調査に10年以上にわたって従事している。ピラミッドの構造を調査するオープン・イノベーション・プロジェクトGiza 3DSurveyを推進中。2016年ナショナルジオグラフィック協会のエマージング・エクスプローラーに選出。2017年TBS『世界ふしぎ発見 !』との共同プロジェクトとしてドローンによるギザの三大ピラミッドの3D計測を完遂。著書に『河江肖剰の最新ピラミッド入門』『ピラミッド――最新科学で古代遺跡の謎を解く』など。
写真=本間伸彦
これまで「謎の象徴」として扱われてきたピラミッドのイメージを覆す「ピラミッド・タウン」。河江肖剰さんは、アメリカ人考古学者のマーク・レーナー博士の発掘チームに参加し、ギザの「ピラミッド・タウン」の研究を通して、古代エジプトの人々の食生活や住居、社会構造などの解明に取り組んでいます。河江さんに、ピラミッド建造に関わった人々の生活や、3D計測など最先端技術を駆使したアプローチについて伺いました。
4500年前の世界一の大都市
-- ピラミッドを建造した人たちの街「ピラミッド・タウン」の発掘に参加されたと伺いました。私は今まで、ピラミッドは何もない砂漠の真ん中に建っていたようなイメージを持っていましたが、そうではなかったんですね。
「実際にどういう人々がピラミッドを造ったのか」という謎は、これまでのピラミッド研究のなかでも、あまり問われてこなかったテーマです。かつては、ナイル川を挟んで、太陽が昇る東に生きている人々の街があり、西に死者の眠る墓地があると思われていました。しかし、私の先生であるアメリカ人考古学者のマーク・レーナーは「ピラミッド建造は人間の関わる大プロジェクト。すぐそばに街があってもおかしくない」と仮説を立て、ギザを発掘。その結果、スフィンクスの南500メートルほどの場所に、古代都市ピラミッド・タウンを発見したのです。この発見によって、それまでほとんどわかっていなかった、古代エジプト人たちの生活がわかってきています。
-- どのような経緯で、ピラミッド・タウンの発掘に従事されることになったのですか。
カイロ大学でエジプト学を学んでいた四年生の時、レーナーの講演を聞いたことがきっかけです。この時の興奮は、今でも覚えています。レーナーは、息もつかせぬストーリー展開で「ピラミッド・タウン」を発見するまでの過程と、最新の発掘状況について語りました。古代のギザ台地で働いていた、4500年前の人々の動きが生き生きと見えるようで、人間という重要なファクターの抜けた過去のピラミッド研究とは全く違っていました。講演会の後、レーナーに直談判し、発掘プロジェクトに参加させてもらえることになったのです。
-- ピラミッド・タウンは、どんな街だったのでしょうか。
街の中心には巨大な営舎があり、ピラミッド建設に従事した人たちが寝泊まりしていたと考えられています。その周辺からは、庶民が家族で住む下町や、貴族や行政官が住む大邸宅の跡が発掘されています。ピラミッドの前には巨大な港があり、北はレバノンやパレスチナ、南は現在のスーダン北部のリビアなどと交易して、さまざまな物資が運ばれていたことがわかっています。ピラミッドも港も、巨大な港湾都市の一部だったのです。
-- ピラミッドが王様のお墓だということは確定しているのですか。建設されていた当時、王様はどこに住んでいたのでしょうか。
王墓であることはほぼ確定しています。ピラミッド・タウンの一角に、現在は発掘できないのですが、王宮があったと思われる場所があります。やはり川の反対側ではなく、ピラミッドのすぐそばに王が住んでいたと考えられます。王様は宮殿に住んで、自分の埋葬される場所が建設されていくのを見ながら、新しいミイラ作りに取り組んだり、今まで使ったことのないような石で棺を作ったりと、イノベーティブに活動していたのだと考えられます。ピラミッド・タウンには、交易で世界中から物資が集まり、ナイルアカシヤの炭を大量に消費して火がたかれ、大量のパンが供給されてピラミッド建設に使う道具がどんどん生産されていました。当時としては、最先端の文明です。今でいえば、ニューヨークや東京のような大都市ですね。
-- エジプトが世界の中心だったのですね。当時は、戦争はなく、平和だったのですか。戦争があれば、ピラミッドを造るどころではありませんよね。
その通りです。約5000年前にエジプトの文明が出来上がり、この時、世界で初めて、国という形態が出現しました。初期には国内で少し戦争が起こりますが、その後、国が落ち着いて平和になり、エジプト中の資源が中央に集まってきて使われるようになりました。この資源をうまく活用するためにできたのが官僚制度。この時代にはピラミッド建造技術が頂点に達し、ギザの三大ピラミッドが完成しました。
-- ピラミッドを建造したのは、王様が自分のお墓を立派にしたいからというよりは、国をまとめるための象徴的な役割もあったのでしょうか。
それもあったと思います。ただ、一口に王墓といっても、墓の概念が現代と古代では全く違います。古代エジプト人にとっての王墓は、現人神が埋葬されるところで、宇宙の中心で、世界が最初に生まれた場所。私たちがそれを理解するのは難しいですが、現代の、お墓のイメージと同じではないということに注意しなければならないと思います。
-- 古代エジプトの王様は、生きているうちに自分のお墓を造っていたんですね。
王になった時から、自分の墓造りが始まります。ほとんどの王は、ピラミッドを造るのに、治世と同じくらいの時間をかけています。残念ながら、ピラミッドの中に収められていたはずの物品は盗掘されてしまっていることがほとんどです。しかし、ピラミッドが建てられてから約1000年後の裁判パピルスには、盗掘者たちが黄金や装飾品を盗み、棺に火を放った様子を、供述した記録が残っているんですよ。
-- ピラミッドの中に本来どんなものがあったかわかるんですか。面白いですね。
ピラミッドに近いピラミッド・タウンの発掘現場で製図する河江さん (写真:Ancient Egypt Research Associates, inc.)
ピラミッドを造った人々の姿を追う
-- ピラミッドを造っていた人たちは、どんな気持ちでピラミッド建設に参加していたのでしょうか? 「これはすごいプロジェクトだ」とワクワクしながら造ったのか、仕事として割り切ってやっていたのか、奴隷のように扱われていたのか、そういうこともわかるのですか。
情報はまだ砂の中に眠っているので、彼らの気持ちまでわかる可能性はゼロではありません。ただし、奴隷のように扱われていたわけではなさそうです。ピラミッド・タウンから動物の骨が多く出土しているので、2、3日に一回は羊やヤギ、牛などの肉を食べていたことがわかります。古代で、これだけ頻繁に肉を食べていた社会はほかにありません。配給されていたパンは、計算すると一人一日約2000キロカロリー。今の日本の成人男性に必要な一日のカロリー摂取量が2500キロカロリーですから、とても良い待遇です。栄養価の高いビールもよく飲まれていたようです。
-- 私たちと同じように、パンやお肉を食べて、仕事が終わったらビールを飲んでいたかもしれませんね。パンをどれくらい食べていたか、どうしてわかるんですか。
発掘現場でパン工房の遺跡や、パンを焼くための壺が見つかっています。当時パンを焼いていた素焼きの壺でパンを作る実験を行い、どれくらいの分量のパン種が入れられて、実際にどれくらいの量のパンができたか調べて、人々にどれくらい分配されていたか推定しました。
-- ピラミッドは昔から多くの人に研究されてもうあまり謎が残っていないと思っていましたが、最近の発掘によって新たな事実がわかってきているのですね。
2013年にも、紅海沿岸のワディ・エル=ジャラフという港を有する遺跡で、エジプト最古のパピルスが発見されました。これは大ピラミッドを造ったクフ王に仕えたメレルという監督官の日誌だったんです。200人以上をまとめて、ギザの対岸にある石切場から石灰岩を切り出し、ナイル川と運河を使って建造現場に運び、新たな港を造るために北上して地中海に向かうなど、エジプト中を縦横に移動していた様子が書かれています。
-- まだわかっていないことも、あるのですか。
たくさんありますが、その一つがピラミッドの建造方法です。しかし、私たちが関心を持っているのは、もっと巨視的なテーマです。建造方法だけでなく、当時のエジプトがどんな社会で、どんな世界観だったのか、ピラミッド建設にどのような意味があったのか、ピラミッドが何を象徴していたのか、などを知りたいと思っています。
さまざまな専門技術で力を合わせ、謎を解明する
-- ピラミッドやピラミッド・タウンの調査には、考古学以外の専門家の力も必要なのではないでしょうか。
現代の考古学は総合科学です。発掘の際も、出てきた遺物を分類して倉庫に送り、倉庫で待機していた専門家たちが分析し、そのデータは毎日サーバーにアップして、発掘データと分析データを統合するというように、システマティックに行っています。ピラミッド・タウンのパンを復元する時にも、土器の専門家や、パンの原料を特定する植物の専門家、動物の骨の専門家、パン職人たちなどと組み、複合的なアプローチを行いました。
-- 3D計測などの先端技術も取り入れられているそうですが、これによってどのようなことがわかるのですか。
3D計測でピラミッド全体のデータを取り、定量的な違いを全て洗い直して必要なデータを抽出していくことで、建造方法などについて知る手掛かりが生まれるかもしれません。2017年に、メディアの取材と組んで、工学チームや数学者、測量の専門家などの協力も得て、世界で初めて三大ピラミッドをドローンで撮影し、3D計測を行いました。2016年にナショナルジオグラフィック協会のエマージング・エクスプローラーに選出されましたが、この時のさまざまな分野を横断したチーム構成が評価されたと聞いています。現在はよりわかりやすい3Dモデルを作るために、クラウドファンディングで資金を集め、機材や人材を大幅に強化しています。
-- いろいろな分野の専門家が集まってプロジェクトを進めるというのは、ワクワクしますね。
学術の世界では、象牙の塔にこもって一人で好きなことをやるだけではなく、社会とどう関わっていくべきか見極めていくのが大切だと思います。研究成果の発表の仕方もわかりやすく工夫して、Web上で公開するなど、一般の人にもワクワクが伝わるようにしたいですね。
-- Webページに出ているピラミッドの3D映像を拝見しましたが、それがもっと目の前にあるように感じられる映像になるのですね。研究成果を私たちも見ることができるのは、うれしいです。
ギザ台地での調査の様子(写真:矢羽多万奈美)
チームを率いて困難に向き合う
-- 独立して自分のプロジェクトを進めるのは、大変なことも多いのではないでしょうか。
そうですね。自分でプロジェクトを動かして自分の知りたいことを追求するのは面白いですが、自分の船でこぎ出すようなもので、お金の心配をしたり、競合と戦ったりと大変なこともあります。ピラミッドは有名なので、さまざまなステークホルダーたちとの調整もしなければなりません。
-- 自分の船を率いたいと意識されたきっかけは何ですか。
恩師のレーナー先生は、したい研究があるならどんどんやれと、許可を出してくれる方です。そのためにはもちろん自分で責任を取り、資金調達もしなければなりません。そんなレーナー隊に入ったからこそ、私はここまでやってこられました。
-- レーナー先生はどんな方ですか。
レーナーは、学生と一緒に遺構を歩きながら「お前、これどう思う?」と対等な立場で話をしてくれます。日本ではなかなかない環境です。私も、チームの学生とフィフティ・フィフティで接するようにしています。学生たちに自分の専門外の知識を教えてもらい、論文を書く時にはオーサーとして一緒に名前を載せています。
-- たくさんのクルーを率いて船をこぎ続けるのは大変だと思いますが、息抜きはどうしていますか。
ずっと続けている武道を通して、心身を鍛え自分を保っています。形勢が不利な時にはつい逃げようとしてしまいますが、逃げれば追いつめられるだけ。向かい合って、自分が有利なポジションに少しでも入り、相手をやっつけるのではなく、自分が何とか生き延びることを目指す方がいいんです。これは研究活動でも同じですね。
ピラミッド研究を通して追い求めているもの
-- ピラミッド研究を通して、河江さんが追い求めているものは何でしょうか。
人間ほど、神秘的で奇妙で理解できない存在は、地球の歴史の中にほかにありません。その人間がつくり上げた文明の、大きな頂点の一つがピラミッドだと考えています。ピラミッドというすごい建造物を通して、人間の偉大さやユニークネスを正しく理解したいと思っています。
-- 今後の研究に対する展望をお聞かせください。
考古学において大事なのは、謎を形作ることです。謎は霧のようにボヤッとしていて、最初は何が本当の謎なのか、それすらわかりません。謎を形作ることでやっと答えが導き出せるようになります。今は、どんなことを研究すればいいのか、ようやく見えてきた段階。私たちが関心を持っているテーマや、今わかっているピラミッドの姿は、一般の人にとっても絶対に魅力的だと思います。いかに多くの人にこの面白さを伝えるか、メディアや映像などの専門家とも組んで工夫していきたいですね。
-- 今後、ピラミッドの新事実が明らかになるのが楽しみです。本日はありがとうございました。
と き:2018年9月19日
ところ:東京・日本橋の当社東京支社にて