-- 背筋がピシッと伸びていらっしゃいますね。姿勢も、レフェリーの仕事に関わりがあるのでしょうか。
そうですね。背筋が曲がっていると、どんな判定をしても自信がなさそうに見られてしまう可能性があります。堂々としていることはレフェリーの大切な要素の一つです。
-- 選手だけでなく、競技場やテレビで見ている観客にとっても、説得力が違うということですね。
はい。レフェリーが下す判定は、一方のサポーターにとっては良いものでも、他方のサポーターには不満である場合があります。それでも「この判定なら仕方ない」と納得してもらえるよう、自信を持って臨むことが重要です。シグナルを出す時にも、まっすぐに手を挙げて指を伸ばせば力強く鋭い印象になります。ひじや指を緩めると、印象が弱まります。
-- シグナルの出し方もその場に応じて変えているのですか。
はい。例えば、選手がファウルをしたと自覚している時に、突き付けるようにカードを出す必要はありません。選手が自分のチームを救う覚悟でファウルを行ったような時には、「その覚悟を受け止めたよ」という気持ちが伝わるようにカードを出しています。
-- カードを突き付けて、罰則を与えているわけではないということですね。
そうです。カードを出すのは、選手に対してではなくその行為に対してです。どんな行為がイエローカードやレッドカードに相当するかは、全てルールで決まっています。どんな行為があったのかを、選手や観客など全員にわかるように出しているんです。
-- 「今、起こったことはイエローカードに値することですよ」とみんなに知らせているということですね。ファウルと判断されて、不満を持ってレフェリーに向かってくるような選手には、どう対応されるのですか。
そのような場合は、まず相手に落ち着いてもらうことが大切です。レフェリーに乱暴な行為をすれば、イエローカードではなく退場になってしまいます。アンガーマネジメントでは、怒りの感情は6〜10秒ほど間を取ると持続しないといわれています。少し離れた場所に呼ぶなどして相手を落ち着かせてから、注意するようにしています。
-- 国際大会では、英語で選手と話をされるのですか。
いいえ、英語の通じない選手もいますから、言葉には頼りません。笛やシグナル、ジェスチャーを使い、視線や表情、距離感、身体の動きなどで判定を伝えます。また、選手の所作から何を考えているか読み取り、合意を形成します。
-- 言葉が通じない相手にも誤解なく伝わるコミュニケーション能力が必要なのですね。
レフェリーの仕事は、ゲーム全体をマネジメントし、選手に活躍してもらえるようにすること。そのために、選手と意見が食い違った時には、お互いを理解して合意点を見つけ出します。カードを出すような事態にならないのが一番いいんです。選手は多くの人に夢や感動を届ける存在で、選手が活躍してくれるほど試合は面白くなります。ファウルがあったとカードを示すのは、レフェリーにとって悲しいことです。
-- レフェリーと選手の間に信頼関係があるからこそ、試合が成立しているのですね。
選手同士だけでなくコーチや観客など、試合に関わる全ての人に感謝し、お互いを信頼し尊重するのが、サッカーのリスペクトの精神です。もちろんレフェリーも、サッカーファミリーの一員です。
2014年FIFAワールドカップブラジル大会のブラジル対クロアチアで、イエローカードを掲げる西村さん 写真:ロイター/アフロ
正しく見るために必要な力
-- 西村さんは数々の国際大会で主審を務められています。レフェリーはどのように選ばれるのですか。
例えばワールドカップに指名されるレフェリーは、FIFAが開催するさまざまな世界大会や各大陸での予選会などで笛を吹いた人たちから3年ほどかけて選ばれます。各大会は、レフェリーにとって実力を発揮し、選考される場所になっているんですよ。
-- どういうレフェリングをするかは、大会によって決まっているのですか。
はい。世界中から集まってきたレフェリーは、開幕前にセミナーに参加して、ファウルに対する判定基準を一定にそろえます。
-- レフェリーによって、判定が違うということをなくすんですね。ファウルなどが起こった時に状況を見極める力は、どのように鍛えているのですか。
周辺視のトレーニングを行っています。人間の目は、中心に見えたものにフォーカスを合わせながら、周辺に見えたものは、どう処理するか脳が判断しているんです。一点にフォーカスを合わせながらも、フォーカス外のものにも反応できるように、周辺視に対する意識を高めています。
-- なるほど。一試合を走り抜く体力も、維持しておかなければなりませんね。
試合では90分で10〜12キロ走ります。審判員の資格を維持していくために、フィットネステストに合格する必要があります。試合当日に向けてベストコンディションで臨めるよう調整も必要です。速さの違う5段階の走り方をまんべんなく鍛えたり、前後左右に素早く移動するアジリティ・ステップワークを整えています。
-- 試合中は、どうやって選手に追いつくのですか。俊足の選手も多いですよね。
選手に追いつこうとはあまり考えていません。サッカーは点を取って勝ちにいくスポーツなので、チームの一員になったつもりで、どういうふうに攻撃したいのか考えると、チームの動きがわかりやすいです。この選手で点を取りたいから、この守備を外して、息を合わせてゴール前へ……という具合です。そのような攻撃のチャンスは、だいたい2分に1回くらいありますね。
-- どうやって試合の流れを追っているのですか。私はサッカーの試合を見ていても、選手がどこにパスを出すか予測できないのですが。
パスを受ける準備ができている選手は必ず合図を出します。周辺視を使ってそのような合図を探し、連動しています。
-- ボールと自分の間にほかの選手がいたら見えなくなってしまいますよね。立ち位置はどうやって決めるのですか。
目の前を選手が横切るタイミングを調整して、クリアな視界をいつも確保するようにしています。ファウルを見逃さないように、ボールを持っていない守備側に焦点を当てて、周辺視で攻撃側を見ています。
-- 試合中にたくさんのことを同時に考えながら動いているのですね。副審はどのようにサポートするのですか。
主審の動きを意識しながら、主審が見えなかったようなところを重点的に見ています。チームワークが重要です。
-- 大変な役割ですね。レフェリーに必要な資質はどんなものですか。
特別な才能は必要ありませんね。勉強すれば誰でもレフェリーになれますよ。フィールドでは動くこと、見極めること、マネジメントの三つを繰り返しています。先輩たちが経験したことを学んでフィールドで実践し、決断力を鍛えて、同じ失敗をしないように気を付けながら、自分のレフェリングを極めていきます。失敗したらそこから学んで改善策を見出して、また次の試合にチャレンジすればいいと思います。
-- 試合中は、ご自身はどのような感情でいるのですか。
個人として「このプレーは許せない」というようなスタンスでは、冷静な見方はできません。でも、選手の気持ちをわかってあげることも大切なので、あまり冷静すぎてもよくないですね。選手たちとある程度同じテンションを保ちながら、何か起こった時には、選手たちに落ち着いてもらうためにはどんな自分を表現すればいいのかを、考えて行動しています。
-- 自分の気持ちもコントロールしていらっしゃるのですね。そんななかでトップクラスの優秀なレフェリーが、ワールドカップで笛を吹ける。
ボール1個で多くの人々を幸せにできるのがサッカーです。FIFAの活動は、ワールドカップを通じてたくさんの人に幸せを届けたいという思いに基づいています。世界中、悲しいニュースが飛び交っているけれど、せめてワールドカップ期間中はサッカーに熱中して、明日への生きる糧にしてほしいという思いですね。