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三洋化成ニュース No.520
2020.05.18
愛知の田舎から上京して京都に住み始めて30年が経つ。大学で建築を学び、卒業後、左官職人として京都の文化財の修復に携わり、設計事務所を立ち上げ、仕事の傍ら京都の街を眺めてきた。この機会に、建築家、そして職人としての視点から京都の街の魅力を記してみたい。
日本の建築は「木」でできているとよくいわれるが、実は「土」からできている部分がかなりの割合を占める。例えば瓦屋根の瓦の原材料は土であるし、お寺や町家の壁は大抵、土でできている。京都に住む我々は、実は土に囲まれて暮らしているのである。
そして実は、京都は土がとても豊富な都市である。お茶室に使われることで有名な聚楽土をはじめ、お寺の塀に使われる浅葱土、鮮やかな赤みが特徴的な錆土、黄色が特徴的な稲荷山黄土、幻の土と呼ばれる九条土など、京都ではさまざまな色の土が産出され、建物の壁が彩られてきた。例えば京都御所を取り囲む土塀は、聚楽土で仕上げられている。聚楽第近辺で採取されたという聚楽土は、落ち着いた茶色の色調と水に強いという特徴を持ち、京都を代表する土壁の仕上げであるが、都市化が進んで今やほとんど入手できない幻の土となりつつある。
京都御所の一角にある拾翠亭は、もと九条家の邸宅跡である。和室に塗られているのは、柔らかな赤みの錆土(もしくは桃山土)で、これが土の色かと見まがうほどにつややかで色気がある土壁である。その一方で茶室の土壁は、表面が真っ黒に変色している。これは土の内部に含まれるミネラル成分が表面で酸化して変色したものであり、草庵茶室では土壁の「さび」と呼ばれて特に珍重される。土壁に鉄粉を混ぜて塗ることでホタルが飛んでいるように見える効果を出した「蛍壁」と呼ばれる風流な土壁技術もある。
京都の街歩きで土壁を観察するのに一番良い観察対象は、土塀である。土塀は、土で作った日干煉瓦を積み重ねたものや、版築という型枠の中に土を入れて搗き固めたもの、練塀といって練った土を、間に瓦や石などを挟みながら積み重ねたものなどいろいろある。例えば龍安寺の石庭の背後にある塀は、版築でできている。京都では他に三十三間堂の南側にある太閤塀、奈良の法隆寺などでも見ることができる。大徳寺や渉成園で見られる土塀は、瓦を練り土を挟みながら積み上げた練塀である。
木と比較して土の持っている重要な特徴は、火に強いということである。そして火災に弱いという日本の木造建築の弱点を補うために発達した建築が、土蔵である。土蔵の外壁は木造の骨組みをぐるりと覆うように竹の下地を編み、その上に土を何度も塗り重ねて30センチもの厚みにもなる、伝統的な耐火建築物である。
私の住む静原にもたくさんの土蔵が見られる。土蔵は土が十分に乾燥してから次の層を塗り重ねるため、下塗りのまま何年も放置することもある。仕上げをしないまま年数が経った土蔵の土壁には、次の層の接着を強めるために箒で描いた独特の模様が残っていることがある。また風雨によって表面の土が流され、中に含まれていた砂利や藁が表面に現れ、なんともいえない表情を見せることもある。
かつては木や土など軟らかい素材で造られていた京都の建築も、タイルやセメントなど年数が経っても風化しない、硬くて丈夫な素材で覆われるようになった。そんな時に、年月を経て真っ黒に「サビた」土壁や、柔らかくて風や雨に打たれて風化した土塀を見ると、なんだかほっとしたような、あたたかい気分になるのは自分だけではあるまい。