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三洋化成ニュース No.525
2021.03.29
-- ご専門は構造生物学ということですが、どんな研究をされているのですか。
構造生物学とは、生体内のたんぱく質や核酸(RNA)などの立体構造を解析し、その構造から得られる知見を実証するための機能解析を行う分野です。
僕は最初に入った研究室で「トランスファーRNA(以下、tRNA)」を研究しました。トランスファーとは「運搬」という意味で、アミノ酸を輸送する働きをするRNAです。RNAは、並んだ塩基ごとに対応するアミノ酸の三つ一組の暗号からたんぱく質を合成する翻訳性RNAと、それ以外の働きをする非翻訳性RNAに大きく分かれます。tRNA は非翻訳性RNAの一種です。人間のゲノムのなかで、遺伝子は約3%。その遺伝子以外の部分のうち7割近くは非翻訳性RNAとして、遺伝子の発現調整をしたり、たんぱく質と協働したりしていますが、まだよくわかっていない機能もたくさんあるんです。
また、2009年からは昔からの念願だった膜たんぱく質について、ゲノム編集分野で著名なフェン・チャン博士と共同研究を始め、膜たんぱく質「チャネルロドプシン」の構造と機能を解析することができました。チャネルロドプシンは動物の脳機能マッピングなどに利用されるなど神経科学の分野で最も使われるツールとなり、脳研究や神経疾患の治療の進歩にも寄与しています。
-- そうした分野に注目し、研究に取り組まれているのはなぜでしょうか。
たんぱく質やRNA同士の相互作用を原子レベルで明らかにすることで、生命現象のメカニズムを解明しようとしているんです。
僕は、RNAと膜たんぱく質は生命の起源だと考えています。生命は、膜でまず外界と隔絶されて細胞という空間を作るところから始まります。また、RNAが細胞の中で自己増殖するという機能を持っていたことが、生命の最も特徴的な「分裂で増える」ことを可能にしました。高等真核生物の脳が発達したのも、脳内でイオンや物質を細胞内外に輸送する膜たんぱく質が働いてくれているからなんです。
2014年には、活性型の「CRISPR-Cas9」(以下、Cas9)の立体構造を世界で初めて解明することができました。Cas9はDNAの二重らせんをほどいて切断する「はさみ」のような酵素を持つたんぱく質です。その構造解析によって得た技術や知見を駆使して、今もCas9を作り変え続けてさまざまな技術を開発し、ゲノム医療などへの応用に結び付けようとしています。
-- 2020年にはゲノム編集の新手法、Cas9の開発で女性研究者2人がノーベル化学賞を受賞したことが印象的でした。
Cas9の基礎メカニズムを解明したエマニュエル・シャルパンティエ教授とジェニファー・ダウドナ教授のうち、ジェニファー・ダウドナ教授は、構造生物学者です。論文が出たらお祝いのメールを送り合う、30年来の友人なんですよ。エマニュエルはちょっとマイペースなところのある人で、ジェニファーはしっかりしていますね。
Cas9は1987年に日本で偶然発見されたものなんですよ。2人の女性研究者が解明したCas9の基礎メカニズムを医療への応用に結び付けるために、基礎と応用の間を、世界中の研究者が技術で鋭意つないでいっています。これからはCas9関連の研究が遺伝子治療につながり、10年以内にノーベル医学・生理学賞を受賞すると思っています。
-- いろいろな分野で研究が進むことで、社会の役に立つものが生まれていくのですね。研究をされるなかでの醍醐味はどんなことですか。
原子や分子、細胞のレベルで生命を見ていくと、物理と化学の原理で機械のように働いていて、その一つひとつの機能が積み重なって、生物としての複雑な機能を持つようになっていることがわかってくるんです。この過程が非常に楽しいですね。
感動した思い出もいくつかあります。最初の研究テーマである、アミノアシルtRNA合成酵素の立体構造を解明した時です。アミノ酸とtRNAを正しい組み合わせで結合させる20種類のアミノアシルtRNA合成酵素のなかには、グルタミルtRNA合成酵素とグルタミニルtRNA合成酵素があります。これら2つのtRNA合成酵素の構造を比べると、分子の半分は全く同じで、残りの半分が全く異なるのです。それを見た時、まさにグルタミルtRNA合成酵素からグルタミニルtRNA合成酵素は生まれたのだと、分子進化の過程が如実にわかりました。この経験が、構造生物学に進む大きなきっかけの一つになりましたね。
また、tRNA合成酵素は、約20種類あるアミノ酸をそれぞれ対応するtRNAに付加するんですが、時々間違えて、別のアミノ酸にtRNAを付加してしまいます。でも、後でそれを外して直す機構があるんです。修正の際に分解されるのがあまりに素早かったので、僕は最初、どこかで実験の手順を間違えたかと思ったくらいです。間違いを素早く修正して正確さを取り戻す機構が生命にあるとわかった時は、面白いなあと思いました。
-- まるで酵素が自分で考えて動いているようですね。研究中、壁にぶつかった時はどのようにして乗り越えるのですか。
今までやってきたことを全部洗い出して、条件を変えて実験し直すなど、やるべきことを箇条書きで書き出し、一つひとつ取り組みます。難しいことではありません。研究の壁は、いろいろな方策を試みて、間違ったところを直せば必ず乗り越えられます。
-- 先生の研究は、今後どのように発展していくのでしょうか。
構造生物学は、原子分解能で生命のメカニズムを明らかにするので「アトミック・レゾリューション(Atomic Resolution)」といわれます。「基礎の基礎は応用」で、基礎研究を追求して生命現象の仕組みを解明できれば、新しい治療法や新薬の開発といった応用研究にそのままつながるんですよ。そこで僕は、軸足は基礎研究に置きつつも、ベンチャー企業を立ち上げ、ゲノム編集創薬を行って、さまざまな遺伝病の治療を目指しています。
日本の企業はフットワークが重く、研究機関とは認識の違いもあるので、直接手を取り合うのは困難です。今後の研究活動には、小回りの利くベンチャーがそこに介在して研究機関の知財を吸収し、企業に合わせたプロジェクトを組んで共同研究をすることが、大きな意味を持つと思っています。2019年にはクライオ電子顕微鏡による構造解析を行う創薬ベンチャーも立ち上げ、新しいコンセプトの薬を作っています。
-- 素晴らしいですね。新型コロナウイルス感染症に効く薬もできるでしょうか。
新型コロナウイルスのワクチンはCas9を使うまでもなくできるでしょう。ゲノム編集の可能性は、自然免疫の研究を進めていく先にあります。獲得免疫は、細胞内に入り込んだ病原体に対してB細胞が抗体を作るもので、自然免疫は病原体が体内に入った時に最初に防御するものですが、この自然免疫については、まだわかっていないことが多いんです。自然免疫の研究を進めることで新型コロナの解明も進み、ゲノム編集によって感染しても症状が軽く済むようにしたり、新型コロナ以外の進化したウイルスにも打ち勝てたり、がん治療などにも役立ったりすると考えています。
-- すでに、がんは不治の病ではないといわれていますものね。ほかのいろいろな病気に対しても希望がみえているんですね。
あとは、治療にかかるお金のことも今後の課題ですね。お金持ちもそうでない人も等しく、病気を治して健康に生きられるような社会にしたいなあと思っています。
-- 先生が研究者を志したきっかけは、何だったのでしょうか。
祖父が電気化学の研究者でした。自分の机でゆったりと研究をしている祖父の姿や、額に入れて飾ってある博士号の学位記を幼い頃に見て、かっこいいなと思っていました。小学生の頃には、野口英世の伝記やマンガ『ブラック・ジャック』を読んで医学に興味を持ちました。
中学生の時には、学校の方針だった「集団無責任体制はいけない。自分でやったことは自分で責任を持て」という精神を叩き込まれました。先生も生徒も周囲に同調せず、やりたいことを追求する楽しい学校でしたね。
-- 生徒の自主性を引き出す教育だったのですね。現在研究されている構造生物学に興味を持ったのは、いつ頃ですか。
中学2年生の時、理科の授業で自由レポートの課題があって、「匂い」をテーマに選びました。すると先生が「匂いのメカニズムを解明したらノーベル賞だ」と教えてくれたんです。嗅覚受容体は膜たんぱく質ですから、この頃から膜に興味を持つようになっていたんですね。
1991年に2人の研究者が嗅覚受容体を発見し、2004年にノーベル医学・生理学賞を受賞しました。発見当時は嗅覚受容体の存在がわかっただけで、それがどうやって匂いの分子をキャッチして神経を興奮させているのかまでは解明されていなかったんです。「この研究はまだ全然終わっていない」と感じ、ますます研究者になりたいという思いが強くなりました。
-- 当時から、まだわかっていないことに対して強い好奇心を持たれていたのですね。
そうですね。高校生になると、「自分が生きている意味は何だろう」と悩むようになりました。いろいろな本を読んで考え、カウンセリングを受けたりし、果ては精神病院にも行きました。結局、異常はなかったんですが。行き着いたのが、何か人の役に立つことをすれば、生きがいが見出せるんじゃないかなということでした。
勉強は好きではなかったのですが、J・D・ワトソンの『遺伝子の分子生物学』を読んで「将来こんな研究をしたい」とモチベーションを高め、受験勉強に取り組みました。
東京大学に入ると、2年生の時に進学振り分けがあります。僕は試験の点数が良かったので医学部に入ろうかなと、父に相談すると、「医者は目の前の患者の病気を治す仕事で、医学を発展させるような研究はできなくなってしまうぞ」と言われました。考え直して医学部ではなく生物化学科に進学し、基礎研究をすることにしました。生物化学科は先輩たちがお互いに競い合ってすごい研究をしている、刺激的な環境でした。
-- 試験の点数ではなく、ご自身がやりたいことを重視されたのですね。
はい。今の大学では、試験の点数のみで入る大学や学部を決めることが多いですが、これはあまりよくないと思っています。医学部にも、医者になりたいからというより、試験の点数が良かったから入ったという学生が多いんです。大学は勉強ではなく研究するところであり、大学に入ることがゴールではありません。学生の皆さんにはぜひ、自分のやりたい研究ができる研究室に入って、人生を有効に使って人の役に立つ、豊かな人生を送ってほしいと思います。
-- 理系の研究者の方は、難しい顔で研究に取り組まれているイメージがありましたが、濡木先生にお話を聞いていると、研究生活がとても楽しそうです。
僕の周囲の研究者も、同じように人生を楽しんでいる方が多いですよ。自分の人生を楽しみながら、社会に貢献することを考え、そこに生きがいを見出しています。
-- 世界を驚かせるような数々の新しい発見をなさっていますが、斬新な発想の源は何でしょうか。
いつも心を自由にしておかないと、新しい発想は浮かばないと思います。他人のやった研究の後追いをしても仕方がないでしょう。他人の書いた論文から研究テーマを見つけても、競争になるだけで、オリジナリティは出てきません。とんでもない発想をしないと、オリジナリティのある研究はできないですね。ある先生は「論文は読むな」とおっしゃったほどです。奇想天外な思い付きを証明するために研究し、論文を書くのは、とても楽しいですよ。今の若い学生や研究者たちにも、そういう研究をしてほしいと思います。
-- 新しい思い付きが生まれてくるのは、どのような時ですか。
分野の違う研究者と共同研究すると、新しいものが見えてきます。私の研究室にはキッチンやバーがあります。共同研究者やさまざまな分野の専門家とディスカッションをした後、一緒に料理を作って、お酒を飲むんですよ。言葉だけではなく、腹の底からわかり合えるコミュニケーションは、とても大切だと思っています。しかしコロナ禍で、飲食を伴うコミュニケーションがしにくくなりました。最近は海外にも行けていません。早くコロナ禍が収束して、心と心が触れ合えるコミュニケーションが再開できるといいなと思います。
-- ノーベル賞を受賞した2人をはじめ、海外の研究者の方との交流も多いのですね。日本と海外で、研究者どうしのコミュニケーションに違いはありますか。
そうですね。博士課程1年生の頃に留学したフランスのルイ・パスツール大学で、ヨーロッパの個人主義を体感しました。たんぱく質の立体構造をX線で解析するために、同じたんぱく質分子を規則的に配列させた結晶をつくる技術を学びにいったんです。日本人のいない環境で、フランス人の学生と片言の英語でやり取りしながら、現地の文化に肌で触れることができました。僕が結晶化を成功させてきれいな結晶ができた時、ドイツ人の親友が僕に抱きつくようにして、自分のことのように喜んでくれたんです。驚きましたが、夏目漱石が『私の個人主義』で論じていることは、これだと思いました。個人主義とは利己主義の反対で、個人を尊重し、他人の幸福を自分のことのように喜ぶこと。他人の成功をねたむような社会では、科学の発展はないでしょう。
-- 日本もそのような社会になるといいですね。
人生をただ単に生きるのでは面白くないですね。一度しかない人生、自分のやりたいことに思いっきり使って、自分の志を成し遂げることで人生に意味が出てくるのではないでしょうか。誰もがそういうふうに生きれば、自分の人生だけでなく他人の人生も大切にするようになり、個人主義の時代が来ると思います。
-- お話を伺って、私も自分の人生を、自由に楽しく生きていきたいと感じました。本日はありがとうございました。
と き:2020年12月10日
と こ ろ:東京大学本郷キャンパスにて