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三洋化成ニュース No.494
2016.01.08
イギリス・リバプール生まれ。1990年バックパッカーとして来日。
着物、華道、茶道などの日本文化に魅せられ、大阪に滞在。英語落語の先駆者である故桂枝雀の寄席で「お茶子」を務めたのをきっかけに落語と出会い、1998年初舞台を踏む。世界中の人々に落語を通して笑いと日本の文化を届けるべく奮闘中。2013年中曽根康弘賞奨励賞受賞。
写真=本間伸彦
-- ダイアンさんは落語やバルーンアートの公演、ラフターヨガ(笑いヨガ)の先生など、いろいろなことをされていますね。それもちゃんと仕事にされているのがすごい。
面白そうなことがあれば、すぐに手を出す(笑)。好きなことを見つけたら夢中になるんです、私。落語もバルーンアートも、ラフターヨガも全部趣味で始めました。着物の着付けは落語で必要に迫られて習ったけど、今では人に教えたりしています。もともと着物が好きだったしね。
-- いろいろなことにチャレンジされるのは、なぜですか。
人生はプレゼントですよね。みんな平等にギフトをもらっている。開けたいけど、好きじゃないかもしれないから、うまくいかないかもしれないから、と思ってそのまま放置する人が多いでしょ。でも私はすぐに開ける。なぜなら、もうちょっと先でもいいかなと思っていて、死ぬ前に開けて、あーっ、最初に開けておけば良かった、これ大好き! と思うかもしれないから。これもったいないよね。開けるチャンスがある時に開けて、好きじゃなかったらまた棚に戻せばいい。開けなかったらわからないでしょ。
-- 勇気を出して自分で開けてみよう、ということですよね。
このことは、落語とセットでやっている講演会でよく言っています。「やりたいことがあるなら、とりあえずチャレンジしてみて」と。チャレンジすることを怖がらないで、自分に自信を持つことが大事。間違うことは怖くない、誰でも間違いや失敗をするけど、そこで諦めて終わるか、もうちょっと努力するかで、人生が変わってくる。うまくいくかどうかは、チャレンジしなければわからない。私も初めは落語やバルーンアートができるとは思わなかった。
-- どうやってそんなにたくさんのギフトをもらったのですか。
今までやりたかったことは全部やりました。だけど、また新しい夢が出てくる。これ好き! と思うことに出会うと新しい夢がどんどん出てくるんです。
-- 出会いを単なる趣味に終わらせず仕事にしてしまうところがダイアンさんらしいですね。ところで、日本にいらっしゃったきっかけは何だったのですか。
来日したのは1990年。当時、私はバックパッカーとして世界を旅していました。ニュージーランドでアルバイトをしていた時にアメリカ人の友だちができ、すすめられたんです。彼女は1年間日本に住んで日本の大ファンだった。他のバックパッカーに聞いたら「日本は値段が高くて難しい」と言われました。でも彼女が「大丈夫、日本人は優しくて、お腹がすいていたらご飯を食べさせてくれる。心配ない」と言ってくれた。それがきっかけです。
-- 日本に来てみてどうでしたか。
もう、すごい好きになった。私は自分で意見を作りたいから、あまり知らないで日本に来ました。ヒッチハイクで北海道から沖縄まであちこち行き、日本の文化がすごい好きになりました。
-- 最初はどれくらい滞在するつもりだったのですか。
3カ月ぐらいでいいかなと。全国を旅行して回り、そろそろ次の国へ行こうかなと思っていたら、あっという間に時間が経って、華道や茶道を習っていた。その時に、バルーンショーをやってみないかと言われて、バルーンアートに挑戦しました。以前、ボランティアでやっていたのを見て、「うわーっ、これ面白い」と思っていたので、言われた時、すぐに「できると思う」と言って(笑)。
-- それで練習したんですね(笑)。
バルーンショーは楽しい。子どもと一緒に遊べるしモノも作れる。アーティスティックな仕事でピッタリだな、と思って。
-- 日本の文化に魅かれた理由は?
まず、最初に習ったのが陶芸です。私はもともとデザイナーで、子どもの時からアクセサリーや服を作るのが好きだった。だからまず日本のモノづくりにはまりました。日本では、折り紙とか風呂敷とか、ものを作るチャンスが多い。しかも紙一枚、布一枚で形のあるものを創る。そういうイマジネーションを刺激するモノに魅かれました。生け花もそう。花をいっぱい使うイギリスのフラワーアレンジメントに対し、日本の生け花はシンプル。数本しか入っていなくても、大きなインパクトがある。茶室も設えはシンプルだけど、道具や御点前の所作が美しく深みがあります。
-- ずっと大阪を拠点に活動していらっしゃるんですね。
大阪は私の故郷のリバプールに似ているんです。ノリが良くて誰でもコメディアンでしょ(笑)。誰もが冗談を言って、誰とでも親しく話をする。話し方も早口で、言葉を短くするのもすごく似ています。
-- イギリスに対する私のイメージは格式が高くて優等生の感じがするのですが。
リバプールは、ちょっと変わってる。ロンドンとはだいぶ違います。それに大阪は、京都や奈良、神戸にもすぐに行ける、とても便利なところ。もう25年大阪に住んでいます。だけど、気持ちはいつもバックパッカーです。
-- 落語を始めたのはどういう経緯からですか。
私の友だちが桂枝雀師匠の英語の先生だった。それで英語落語の落語会をするから、「お茶子をしませんか」と紹介されたのがきっかけです。日本へ来て6年目。それまで落語は見たこともなかった。日本語もあまりわからなかったから理解できなかった。初めて枝雀師匠の英語落語を見た時「これはすごいな、ストーリーテラーだ」と思ったんです。ストーリーテリングは子どもの時、めっちゃ好きでした。本を読んだり物語を聞いて想像を膨らませるのが大好きだったので、落語を見た時に懐かしい感じがしました。「イマジネーションだけで旅ができるのはすごいな、面白いな」と思った。鳥肌が立った。その時の演目が『時うどん』。見たこともなかったけど想像できたんです。
-- 落語も先ほどのお茶や折り紙と同じで、道具や舞台がシンプルですよね。
そう。手ぬぐいや扇子を使っていろいろなことを表現できるのは、とても面白い。一人で何役も演じ分けるのもすごいと思いました。
-- 落語は修業がつきものですが、どうやって身に付けたのですか。
落語の道場に入って古典落語や創作落語を習いました。小噺を作ってみんなの前で発表したら、面白いと言われてすっかりはまってしまった(笑)。初めてワッハ上方という300人ぐらいのホールで英語落語を演じた時はドキドキしたけれど、お客様の反応がすっごい楽しかった。笑ってる笑ってる、またやりたいと思いました。
-- 人前で演じる醍醐味を知ってしまった、と。
私は子どもの時からほんまに恥ずかしがりだった。知らない人の前や学校では声が出なかった。先生に指名されると、いつも緊張して吐きそうになりました。今は人前で落語を演じて笑ってもらえることがとても楽しい。
-- パワフルトークで人気の今のダイアンさんからは想像できない子ども時代ですね。
それからどんどん落語の問い合わせが来て、初めは5人のグループでやっていたのですが、「ダイアンだけ来てほしい」「講演会もやってほしい」という話が来るようになった。一人の仕事が増えて、やっぱり自分で着物を着られるようにならなあかんな、と。それで着付け教室に行ったのです。着物が自分で着られるようになったら、また楽しくなって。今では着物のコレクションが340枚以上(笑)。
-- えーっ、日本人でもそんな人いませんよ(笑)。
-- ところで、落語を海外で演じられる時、『時うどん』だと、うどんをすする場面がありますよね。欧米のマナーでは音を立ててはいけないと思うのですが、そういう場面ではダイアンさんはどう説明なさるんですか。
相手が外国の子どもの場合は、「日本では音を出すのはOKですよ。美味しいという意味です」と説明したら、子どもたちは笑うね。大人の場合は、あまり説明しない。相手の理解に任すようにしています。ナレーションが多すぎると現実に戻ってしまうので、どこまで説明するかは難しい。お客様の反応を見ながらですね。今は『時うどん』のネタをアレンジした『たこ焼きタイム』をやっています。
-- そう、それお聞きしたかったんですよ。どうアレンジされるのですか。
うどんをたこ焼きに変えるぐらいで、登場人物とストーリーは『時うどん』と同じ。始めに「たこ焼き知っている人いますか?」と必ず聞きます。ほとんど知らないから「たこ焼きは日本で人気のあるスナックで、団子の真ん中にタコが入っている」と説明するんです。「小さいボールになっていてソースと青海苔とカツオ節をかけて、爪楊枝で食べる」と。食べる時に「フッフッフッ」と言って食べる真似をすると大体みんな想像できる。あとは、お茶の飲み方「んっんっんっ」という音を入れて、みんなで一緒にやるとすごく盛り上がります。
-- ダイアンさんはそういう音、すぐにできたのですか。
子どもの時から、ドアを開ける「ギィー」という音とかブレーキの「キキキキキ」という音を真似るのがすごく好きだった。家族や知っている人の前ではよくやっていました(笑)。
-- もともとお得意だったんですね。ほかにはどんな違いがありますか。
気を付けないといけないのは、宗教や慣習の違い。その国や地域によっては、日本酒を飲んでいるシーンは出さないようにします。内容を変えることもあります。不思議なのは、日本でも海外でも大体同じところで笑うんです。笑いのツボは一緒なのかなと思いますね。
-- 笑いといえば、東日本大震災の後、東北へボランティアに行かれたのですよね。
震災後、仕事がキャンセルになっていきなり暇になった。ずっとテレビを見ていたら、ついこの間、落語をやった気仙沼がこんな状態になってすごく胸が痛みました。何かしたい、何ができるかと考えた時、人を笑わせることが大切だと思った。テレビに映る子どもの顔を見たら、誰も笑っていなかった。それを見たら悲しくなりました。子どもは親のストレスも吸収している。だから「Sharing Smiles in Tohoku 」というテーマで、笑顔が見られるようにしたいと思って行きました。風船2000本と着物と派手な衣装を持って、あちこちの避難所でバルーンと落語のショーを行いました。私が帰ってからも遊べるように子どもたちに風船で動物の作り方を教えました。それをやっていて、やっぱり私はこの仕事を選んで良かったと思いました。
-- なぜそう思われたのか、もう少し詳しく聞かせてください。
避難所では皆さんすごくストレスがたまっていた。けれど、笑ったらストレスが少なくなるんです。30分だけでも笑ったらストレスを乗り越えることができて、心のケアになる。私も笑いを届けることで倍くらいパワーをもらいました。その時、何が大切かをいろいろ考え直し、私の人生も変わりました。東北に行ったことが本当に大きなターニングポイントになった。
-- 落語や仕事への向き合い方が変わったのですね。
2011年は私にとってもすごくつらい1年間でした。母が心臓の手術をしたのでイギリスへ帰り、退院したのを見届けて日本に戻ってきた。すぐに震災があり、半年先まで仕事がなくなりました。避難所のボランティアに行ったのは良かったけれど、その後仕事の問い合わせが再開され始めた時に、パソコンをハッキングされて、データが全部消えてしまった。ハッカーが詐欺メールを何千人もの人に送ったため、すごい迷惑をかけてしまいました。その対応で2週間ぐらい何も食べられず寝られませんでした。もうストレスがマックスで笑顔もなくなってしまった時、出会ったのがラフターヨガだった。このヨガには、笑いたくなくても笑えるようにするエクササイズがあり、作り笑いをすることで効果が得られます。インドまで行ってラフターヨガの勉強をして師範になりました。
-- えっ、師範になった。そうやって何でも自分のものにしてしまうんですね。
私にぴったりだと思った。自分に必要だったので勉強したんです。それでまた人生が変わりました。今やっている90分の講演の最後の10分か15分はラフターヨガで終わります。すごい人気があります。笑いはどこの国でも通じるし、言葉の壁もありません。年齢も宗教も国籍も関係なく、みんなが一緒に笑えるのがいい。自信がつくし、体も柔らかくなります。笑いは自然の薬なんですよ。
-- 笑いにはいろいろな効能があるということですね。落語のネタを覚えるのは大変ではないですか。
落語は難しい世界。ちゃんとやらなければいけない責任があります。ネタを覚えるのにかなり時間がかかるし、見えないところで何カ月も練習しなければいけない。難しい仕事だけどやって良かったといつも思っています。パワーをもらうんです。
-- これからやってみたいことは何ですか。
アフリカで落語のツアーをしてみたい。ケニア、タンザニア、ウガンダなど、アフリカの人たちはノリがいいから絶対受けると思う。外国の物語を翻訳して子ども向けの落語も作りたいですね。
-- ダイアンさんなら全部できそうですね。今日は楽しいお話をありがとうございました。
と き:2015年10月28日
ところ:東京・日本橋の当社東京支社にて