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三洋化成ニュース No.534
2022.09.21
男子400メートルハードル日本記録保持者であり、世界陸上競技選手権大会ではスプリント種目で日本人として初めて表彰台に立った為末大さん。現役時代は自身の体形や特性をいかに最大化できるかを考え抜き、その徹底した戦略的思考から「走る哲学者」として異彩を放ちました。引退後は執筆活動、会社経営、テレビ出演、社会貢献活動など多岐にわたる分野で活躍されています。
為末さんの精力的な活動の根幹にある、独自のスポーツ観と、人生哲学を伺いました。
-- 為末さんは小学生の時に陸上を始め、中学時代には100メートル競走(以下100メートル)、400メートル競走(以下400メートル)、走り幅跳びなど6種目で日本一になっていらっしゃいます。100メートルの競技者としても注目されるなか、18歳の時、競技種目に400メートルハードルを選択されましたが、かなり大きな決断だったのではないでしょうか。
まず高校の時、先生に100メートルではなく400メートルハードルに取り組むことを勧められたんです。また、3年生の時に地元の広島県で国体が行われ、チームが上位の成績を収めるには、僕が400メートルと400メートルハードル両方に出るのがいいということになりました。
-- 先生のすすめで出場されたハードル競技で、当時の高校記録とジュニア記録を更新して優勝してしまったのですか。
はい。この年に地元の広島で国体が開かれなかったら、400メートルハードルをやっていなかったかもしれませんね。良い記録が出て「いける!」と思って、本格的に400メートルハードルの競技者を志すようになりました。
-- それだけ、一番になるということが重要だったのですね。
そうですね。自分の力を精いっぱい出して、一番上まで行って、そこの風景を見てみたかったんです。当時から、気持ちを切り替えるのは得意でした。ただ、本格的に転向する際は、やはり迷いました。当時、陸上競技選手として大活躍していたカール・ルイスに憧れていましたから。でも、ハードルの競技人口は短距離走の10分の1以下。このニッチ領域なら戦えると総合的に考えて、決断しました。
-- 転向後は2001年のエドモントン、2005年のヘルシンキの世界陸上競技選手権大会(世界陸上)で銅メダルに輝くなど、2012年に引退されるまで、華々しく活躍されました。
私はずっと、ハードルの1台目を世界で一番早く超えることにこだわってきました。それがメダルにつながったと思います。
引退前のある時、1台目を跳んでストップウォッチを押して、5秒75かなと思ったら、5秒85だったんです。それまで、1台目を跳んだ後のタイムは100分の5秒ぐらいの精度で感覚的にわかっていましたので、おかしいなと。その後は何度跳んでも、0.1〜0.2秒遅いんです。この時に、もうダメかもしれないと思いましたね。
-- 感覚と実際のタイムにズレがあったということですね。
その頃から、少し速く走れる日があれば、まだやれそうだと思い、アキレス腱が痛くて歩くのも厳しい日があれば、もう終わりだと思い……。気持ちの折り合いがなかなかつきませんでした。
-- 進退を決めるという重要な時期だったのですね。誰かに相談されたのですか。
誰にも相談しませんでした。今考えれば、相談すればよかったですね。陸上競技では「グラウンドの上に立った以上、誰の助けも借りてはいけない」という考え方があります。私もこの影響を受けていました。陸上の選手は皆、多かれ少なかれ、人と力を合わせたり、人に頼ったりするのが苦手な傾向にあると思います。
引退した翌日には、現役中に使っていたユニホームなどを全部段ボール箱に入れて、お世話になった人たちに送りました。メダルも実家にあります。今、家には陸上をやっていたときの痕跡はほとんど残していません。一つだけ、大阪の世界大会で予選落ちした時のうなだれている写真だけは掲げています。調子に乗らないよう自分を戒めているんですよ(笑)。
-- 少し厳しすぎるような気がします(笑)。引退前の3年間はトレーニング拠点をアメリカに移したということですが、日米の違いで何か感じたことはありましたか。
日本人の強さは、継続することを大切にできること。科学技術のブレークスルーを日本人が起こすのは、やはり根気があり、一つのアイデアを継続してずっと追いかけていくからだと思います。弱いのは、諦められない点。世界各地での試合やアメリカ滞在を経て、自分自身の問題を客観視することの大切さを強く意識するようになりました。
-- 引退後はスポーツや起業、教育など多岐にわたる分野で活躍されていますね。
人生の前半はほとんど陸上にだけ懸けてきましたが、陸上以外のものに対する好奇心も人一倍強かったんです。やはり好奇心は、人間だけが昇華させた興味深い特性であり、人生にドライブをかける要素の一つだと思います。好奇心に突き動かされて生きていくのはとても幸せなことです。一方で、好奇心を追いかけるということと、それを世の中に役立てるということとは、意識的に結び付けないといけないですね。
-- うまく結び付かないこともありますものね。アスリートと同じように、結果を出すことを求められる競争社会にいる方は、このことに悩まれていると思います。
社会では富を生み出すために激しい競争が行われていますが、競争に夢中になりすぎてしまうと、全然違う方向に走りだすということがなくなってしまいます。そうなると多様性がなくなり、結果として全体の活力もなくなる。「知りたい」という、根源的な人間の好奇心を大切にして、どこにいくかもわからないけれど、心が向くままに走ることで社会全体に活力が生まれるのだと思います。
-- 結果を出そうとするあまり、個人が社会のニーズを意識しすぎると、社会は活力をなくしてしまうということですね。
そうですね。また、これからはセルフマネジメントも重要になると思います。モチベーション維持やセルフコントロール、キャリア設計をはじめ、どうやって収入を得て生活していくか。何も考えずに決められた道を歩いていても自動的に決まっていくという時代ではありません。働いていくなかで、日々やりたいことはなにか、自分のいるべき領域はどこか、と常に自らをマネジメントし、律していく必要があると思います。
-- なるほど。そのぐらい意識化しておくことが求められているのですね。セルフマネジメントができるようになるためには、どうしたらいいのでしょうか。
セルフマネジメントの問いは「どう生きたいのか」に還元されると思います。仕事、家族、好奇心など人によって軸は違いますし、残された人生の時間も違います。そのなかで自分で軸を決めて判断していくのだと思います。私たちの世代は選択をしているようでいて実は、この成績だったらこの学校、というように、いくつか提示されたもののなかから進路を選ぶ傾向にあったと思います。本当は提示されたもの以外の選択肢からも選べるのに、それに気付かないまま生きていた。今まさに選択肢は無数にあることに気付きつつあるのだと思います。
-- 自分の生き方を問い続けないといけない時代なのですね。
表面に見えている選択肢を深掘りすると、別の選択肢があることが多いですよ。例えば僕なら、100メートルと400メートルハードルどちらを選ぶか。実はこれは、好きだけど勝算のないものと、勝算はあるが好きじゃないもの、どちらを選ぶかという話なんです。このような本質的な問いかけをし続けることは、どんな分野の仕事をしていても無縁ではないと思います。
-- ハードル走といえば、学校の体育の授業で、跳ぶのが少し怖かったという思い出があります。
確かに、ハードルはあんなに硬くなくてもいいですね。ぶつかると痛いですし。ハードル走は「走る」「跳ぶ」など、投げる以外のほとんどの陸上競技の動きが入っているんです。速く走るのは努力ではどうにもならない部分がありますが、ハードル走は練習すればその分速くなれるんですよ。
-- 努力や工夫が結果につながりやすい競技なのですね。
成功体験を得やすいですよ。引退後に、学校でハードル走を教える機会をいただき、延べ100校以上に行きました。最初、私が見ている前でハードルを跳んでもらいましたが、一人の生徒が転ぶと、次の子たちがみんな、怖がって誰も跳ばなくなってしまったんです。そこで、5人を一斉にスタートさせて、5人全員が3台目を跳び終えたら次の5人をスタートさせる形式に。そうするとみんな思い切って跳ぶようになり、僕のアドバイスも入っていくようになりました。
結局、子どもが一番おびえているのは大人の目なんです。失敗した時に、大人がそこに目を向けないようにすれば、子どもはチャレンジするんです。痛さや怖さだけが問題ではないと気付きました。
-- なるほど。ハードルを倒してしまうと目立つので、どうしても注目してしまいますが、そちらを見ない方がいい。
子どもたちに教えた経験は、非常に勉強になることが多かったですね。私は、スポーツで成功体験を得すぎているので、スポーツで成功体験を得たことのない人の気持ちを理解することに努めました。
-- 自分と違う人に近づいて、分析して、伝わる言葉を探すというお仕事だったんですね。
人生にはいろいろな選択肢があるので、極端なことをいえば、別にハードルを跳べなくたっていいんです。「誰もがハードルを跳べるようになることはいいことに違いない」という思い込みから入ると、子どもたちにもそのプレッシャーが伝わります。まず力みを取って、自由な雰囲気にするのが大事でした。
-- 子どもが、教える側からのプレッシャーを感じずにスポーツを楽しむことは大切ですね。
幼少期のスポーツは、なるべく全ての子どもの人生に、良い影響を与えるように設計するべきだと思います。レベルの違ういろいろな子どもたちが楽しくスポーツをするためには、練習をたくさんすることにあまり意味はないと考えています。試合で勝ったり負けたりして、感動したり泣いたりするのもいいのですが、よくわからないけれどたくさん笑って、とにかく楽しかったという試合も必要です。
一方で、アスリートを目指す子は切り離して育てるべきかという問題になります。ある調査では、競技を早いうちから始めることとオリンピアンになることは相関があるけれど、早い段階で競争のなかに置くことは、むしろ、逆効果だといわれています。子どもの頃にあまり競争せず楽しくやって、ある段階からアスリートを目指すほうが、最終的に高い結果が出るということですね。
結論としては、どのレベルの子も一緒のチームにし、各県レベルで総当たり戦にして試合数を増やすのがいいと思います。トーナメント戦で全国大会を目指すとなると、過熱しすぎてしまいますから。少なくとも小学校では全国一を決める必要はないですね。「自分は日本一かも」と思っている子が全国に20人ぐらいいてもいいじゃないですか。
-- 全国大会をすることで試合の経験が減り、競争も激しくなるのですね。
はい。また、子どもの時に勝ち方を洗練させすぎると、大人になった時に必要な、新たな勝ち方に合わせることが難しくなるという問題もあります。必ずしも大人のスポーツをそのまま子どもにやらせるのがいいというわけではないんです。
日本には高校で400メートルハードルという種目があります。高校生の体力だと、51秒ぐらいで全国1位になります。51秒で走る練習って、いわゆる長距離っぽいスタミナの練習なんですね。ところが、成人して日本一とか世界を目指すとなると、47、48秒ぐらいが必要で、練習方法がスタミナじゃなくてスピードに寄ってくる。日本では、高校時代にスタミナ練習をしてきた子たちがスピードに移行できなくてたくさん挫折しています。それを知っているアメリカとヨーロッパでは、成人が400メートルハードルで出すスピードに近づけるため、高校生にはあえて300メートルハードルに設定しています。ですから、高校野球は7回がいいかもしれないし、中学サッカーは30分がいいかもしれない。成長過程で大切な要素を重視する形で、スポーツ自体もつくり変えていいんじゃないかと思っています。
-- 確かに。高校野球ではエース1人に負荷がかかって、腕や肩を壊してしまうという問題もあります。
日本の部活動の良い点は、あまねく、みんなが経験できること。悪い点は、過熱しすぎることと、学校とひもづいているので他校の部活動には入れないこと。それに学校の先生に負担がかかりすぎているという3点ですね。
-- 学校の部活動に外部のコーチを迎え入れることも多くなってきていますね。
スポーツ選手を育てた親御さんたちにも話を聞きましたが、練習は週10時間を超えないほうがいいようです。1日2時間ぐらい練習をして、そのなかで別のスポーツも経験して。友達と遊ぶ時間や勉強する時間も大事ですしね。大きな視点で設計してルールを決めた後に、質を高めるという考え方のほうが、いろいろな面でいい影響があると思います。
-- 為末さんが自分の人生をやり直せるとしたら、もう一度陸上を選びますか?
難しい問いですね。陸上をやってよかったとは思っていますが、サッカーや体操のような競技もいいですね。まっすぐ走る能力は身体能力や体格である程度決まってしまいますが、私のように身体が小さいと、素早く止まったりクイックな動きをしたりという点では有利なんですよ。
また、言葉が好きなので、言語学や教育、哲学などの分野にもひかれます。学校で、新学年の最初に配られる新しい国語の教科書は、すぐに全部読んでしまうような子どもでした。
-- 今後の目標は何ですか。
僕は自分のことを言葉とスポーツの人間だと思っています。ですから、いつか、多言語に訳され、後世まで残るような本を書いてみたいですね。イメージしているのは宮本武蔵の『五輪書』。日本人が書いた技術論で一番、世界に広がったものです。これを現代版にアップデートして、人間が技を極めていく時にどんなプロセスがあるのか、理論的にまとめてみたいと思っています。
-- その本、ぜひ読みたいです。本日は楽しいお話をありがとうございました。
と き:2022年5月27日
と こ ろ:西新橋・当社東京支社にて