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三洋化成ニュース No.536
2023.01.23
2018年度から4年間、アフリカ出身者として初めて、日本の大学の学長に就任したウスビ・サコさん。サコさんの目に、日本の社会はどう映っているのでしょうか?
ご専門の空間人類学や、ダイバーシティ、教育についての考えもお聞きしました。
-- どのような経緯で来日されたのですか。
アフリカのマリ共和国で生まれて、高校卒業後に国費留学生として中国に留学し建築やデザインを学びました。1991年に来日し、京都大学大学院に通い始めたんです。京都精華大学で講師になったのは2001年のことです。2002年には日本国籍も取得しました。
-- 教員として、日本の大学で感じたことは。
組織が決断をするプロセスがとても長いなと感じましたね。やる気を持って入学してきている学生にも、大人の都合やカリキュラムの問題で不自由を感じさせてしまっていました。私たち職員の手で学ぶ環境をつくりたいと思い、教務主任時代に同僚たちと「サーティーズの会」を結成しました。
-- 30代の皆さんで、大学を変えていこうということですね。
ほとんど飲み会をしているだけでした(笑)。でも、「大学の未来をどう考えるか」というテーマで、教学の改革案や学部構想を練って、理事会に提出したんですよ。それは認められなかったんですが、みんなのやる気が上がり、ビジョンも見えました。私はそのタスクフォースのトップを務め、選挙で学部長に選ばれました。
-- 立場が変わったことで、どのような変化がありましたか。
その次に壁になるのが学長なんですよ。学長がイエスと言わないと何も決まらない。だから学長選挙に出て、学長になりました。
-- 学長とは、どんなお仕事なのですか。
カリキュラムの管理体制をつくったり、学部長や研究科長を指名して定期的に会議をしたり。二つの学部を新たに創設したほか、うまくいっていない分野の改革も必要でしたし、入試関連の仕事やダイバーシティの取り組み、国際展開、地元との連携にも注力しました。
-- 幅広い業務があって、とてもお忙しそうですね。
日本のトップは孤独ですね。いろいろな仕事をしていると、だんだん自分一人で全てを決めている感じがしてくるんです。大学のいろいろな書類にも「学長の強いリーダーシップのもと…」って書かれているし。私は強いリーダーシップなんて発揮していないのに(笑)。今度は学長を言い訳にして、遠慮し合ってしまうんです。そこで「皆さんがやりたいことを、どんどんやろうよ」という開放的な雰囲気をつくるようにしました。そうすると、みんな本当にいろいろなアイデアを持ってきてくれました。日本人は大きなポテンシャルがあるのに、遠慮し合ってチャレンジがしにくくなっていることが多いかもしれませんね。
-- サコさんが、学長になってやってみたかったのはどんなことですか。
大学の可能性を再び示すことです。立派な理念があって、優秀な職員も学生もいるのに、なんでうまくいかないんだろうと。そこで理念を再点検して、ゼロから考え方を正していきました。
これは学生の募集に大きく影響しました。学長就任前の京都精華大は定員割れしていたのですが、在任中に、定員百%近くになるまで回復させました。特に留学生は、私が学長になった頃は1割以下でしたが、多い時には30%にまで増えました。それまで留学生は留学生枠で受験していたんですが、入試改革を行って日本人の学生と同じ試験を受けられるようにしたんです。
-- 日本語を学び、日本語が母語の人と同じ試験で合格する、優れた留学生が多いのですね。
留学生は勉強する意欲がとても高いですね。現在私は、全学研究機構長としてマンガや伝統産業などの研究センターを統括していますが、特にマンガ学部には、アジアや北欧、ニュージーランドなどから「マンガを学びたい!」と強い思いを持って日本に来る学生が多いです。マンガの経済論や社会的インパクト、マンガがなぜはやっているのか、日本の教育現場でどのように使われているのかといった研究をしています。
-- サコさんのご専門の空間人類学とは、どんな学問ですか。
建築は街を構成しています。そこに法律や建築家の価値観も加わって街の形が決められていきます。でも、その空間の中で行動するのは人なんです。だから、機能に従って形を作るのではなく、人の心理や行動から空間を考えたいと思ったんです。
-- 建築に関わる学問である一方で、人の心理や行動を研究する必要があるのですね。
そうです。会社なら、みんな何時に出社するのか、一日のうちにどんな行動パターンがあるか。家では家族それぞれの居場所をどうつくるか。ふつうはリビングはだんらん、寝室は寝る機能のためにつくられていますが、ベッドルームで寝る前に仕事をする人もいるし、リビングで家族がくつろいでいる横で宿題をする子どももいるし。
-- 空間の機能は一定ではないということですね。空間人類学をご自身の研究テーマにしたのはいつですか。
中国に留学して建築デザインを学ぶなかで、新しい住宅を提案するために、今の住宅がどう使われているか調べ始めたんです。当時日本はちょうど公団の建て替え時期で、居住者の意識調査や居住環境の評価などの研究が盛んでした。公団の中庭も建築だけの視点では、広さや明るさしか見ないんですが、そこで遊ぶ子どもたちやそのお母さんたちの心理を探ると、そこに物語が生まれるんです。
-- タイミング的にも文化的にも、当時の日本が研究対象として興味深かったのですね。
はい。マリの中庭の使い方も大きなヒントになりました。中庭を数軒の家が取り囲む伝統的な集合住宅が多く、住人が自然と中庭に集まって、家族を超えたコミュニティができるんですよ。空間をどうデザインするべきか、テクニックを持っているのは僕ら研究者や建築家だけれど、使い手の話を聞いて、気持ちを理解しないと、建築はエゴにしかなりません。今は、京都の東山区で空き家となっている長屋を再生するプロジェクトにも取り組んでいます。
-- 日本が、研究し生活する場になり得たのはなぜですか。
やはり、日本語を覚えたのが良かったですね。テレビでお笑い番組を見て、みんな笑っているのに私だけわからないのが悔しくて、がんばって勉強しました。英語で書かれた文献や通訳を通して研究するよりも、日本人と一緒にフィールドワークをして日本語の文献を読んだほうが、私の想像の日本ではなく、リアルな日本に触れているなと感じます。私は論文も日本語で書いていますよ。そのうち、いろいろな研究や仕事に誘っていただいて、さらに知識が増えていきました。
-- ダイバーシティについての考え方をお聞かせください。
誰もが自分の居場所が見つかる環境づくりをすることだと考えています。宗教や人種など、社会的ないろいろな点でお互いに違いがあると認識し合うことが大事です。認める、認めないというところまでいかなくてもいいんです。サコは誰かに認められなくても、サコですから。
-- 確かに、認めるところまで目指すと、葛藤もありますものね。
そうなんです。あとは、マイノリティを優遇するだけじゃなく、マジョリティの意識改革も重要です。例えば、いつも一緒に遊ぶ仲間がいたけれど、遊んでいて何か合わないなと感じるようになった。それってなかなか認められないですよね。マジョリティのなかにもさまざまな価値観があるんです。マジョリティのなかの同調圧力を解放して、その価値観を持つ人たちをいかに楽にさせるかがすごく大事だなと思います。
大学生と接すると、「自分と向き合うのが怖い」と感じる人がいます。でも、自分の弱さを受け入れられる人は、他人も受け入れられるんですよ。絵が苦手という弱さがあっても、描けるように努力すればいいんです。描ける振りをしなくていい。
-- 自分が絵を描けないということを認めれば、速く走れない子のことも認められる。
そういうことです。この間、建築の授業で合宿した時に、中国人留学生がシェフかと思うぐらいに、めっちゃ料理がうまかったんですよ。日本語があまりうまく話せないから、日本人は今まで留学生を下に見ていたんですよね。でも、日本語のハンデがないところで力を発揮すると、料理はマジで誰もが認めるうまさでした。自分ができないことも、できることもあるから、お互いに支え合っていったらいいと思うんですよね。
-- そうですね。マリは多民族国家と聞きましたが、ダイバーシティについてはいかがですか。
マリには多種多様な民族・人種の人がいて、もともと多様な社会。民族の違いが仲違いの原因になりません。14世紀に作られたマリ帝国の憲法「クルカン・フガ」は人類の無形文化遺産になっていて、相互扶助や、お互いの財産を尊重し合うということが定められています。面白いのは、サラングヤという、相互扶助を確認する手段。サコという苗字とナナンという苗字の人はサラングヤの関係があって、会うとちょっときつい冗談を吹っ掛けられることになっていて、それをうまく返さなきゃいけない。一度、空港の入国審査官にやられました。「サコ、日本で泥棒してきたのか?」って。
-- 入国審査官の苗字がナナンさんだった。
そうなんです。相互扶助というのは、冗談が通じ合って、迷惑をかけても面倒くさく思わないということだと思います。
-- 日本では、子どもの頃から「人に迷惑をかけないように」と教えられます。迷惑かけてもいいんだよ、お互い様だよという感覚にはなかなかなれないかもしれません。
日本はこれまで、周囲の人がみんな同じ価値観を持っている前提のハイコンテクストな社会でした。全て言葉にしなくても相手がこちらの意図を汲んでくれて、空気を読んでくれる。でも、これからは日本も日本人だけが構成する社会ではなくなり、価値観も多様になり、全部言わないと通じないローコンテクストな社会になります。日本人、いつまで「島国だから」と言ってるんだよ(笑)。その島国のなかに私もいるんやで。
-- そうですね(笑)。ある講演会で日本に暮らす外国人の構成割合は、日本人が思っているより相当増えていると聞きました。これから日本人はどんなことを意識する必要があるでしょうか。
たぶん、「空気」から離れたら、いい感じになる。空気が人を不自由にしているような気がします。日本人は「今、ここでこれを言っていいのかな」ととても周りを気にしますよね。自分で勝手に空気を読んでいるんですよ。しかも、読めていない。読んでいる振りをしているんですよ。だから、もう少し社会が寛容になるといいのかもしれませんね。
例えば、諸外国では一人ひとりがコロナとの付き合い方を決めて、マスクをつけるかどうかも判断しています。でも、日本人は自転車に乗っていて「マスクがしんどいな」と思っても、「誰かに何か言われるかも」とマスクを外さない(笑)。意識改革には長い時間がかかりますが、子どもの教育から変えていくのがいいかもしれません。
-- サコさんはマリで教育を受け、中国や日本にも留学されましたが、教育面ではどのような違いを感じますか。
マリでは、植民地化時代に西洋の教育が入ったので、勉強は外国の文化を覚える手段であり、競争に勝ち上がって自分の見せ場をつくる場でもあります。ただ、勉強ができる人もできない人も仲間だから、一緒にサッカーしたり遊んだりしますよ。中国でも堂々とオープンな競争をしますが、日本は陰の競争なんです。自分と同じ行動ができない人は仲間ではないと区別し、カテゴリー化してしまう感じが日本の教育の中によくありますね。勉強している子たちは、ライバル意識がありつつもリスペクトしてつながっているけれど、ヤンチャな子たちはヤンチャグループの枠のようなものがあって、グループ同士はほとんど関わりがない。小学校低学年は型にはまっていなくて個性的で面白いのに、大きくなると好きなことを言えなくなってしまいます。
-- 枠に入れられてしまったら、自分もその枠のなかでだけ考えるようになってしまいますね。
わからないものを枠にはめると安心するんですよね。日本の今の教育システムは、個性が大切と言いながら、個性を殺して日本人をつくる教育だと思います。「子どもたちに何を求めてんねん、大人」っていう感じ。だから、大学生にいきなりディベートしろと言っても、できない。
-- 人と意見を闘わせずに済むように教えてきたわけですものね。
日本は今まで国籍とアイデンティティがイコールだったのかもしれませんが、アイデンティティは生まれ育ったコミュニティや家族や文化によってつくられるもので、本来、国籍とアイデンティティは違います。これからの社会に必要なのは、個人が自分の生き方を選択できる教育。自分は何をしたいのか、自分は何者なのか考えさせて、自分の言葉を持たせれば、勉強も楽しくなりますよ。
-- 確かに、日本の子どもたちは試験のために勉強していると思います。
日本では答えを教える教育しかしないんです。全部、物事に答えがあるかのようにつくってある。でも、正解のないものは世の中にいっぱいあるし、そこで問いが生まれる可能性も高いです。答えを見つけることに必死だと、問いが立てられないんですよ。時間に追われる勉強しかしていないですし。子どもが家に帰ってきたら、親が「宿題は?」って。もっとダラダラしてもええんちゃうかな。
また、子どもに自分の生活への興味を持たせて、家事をさせることも教育の一つだと思います。私の子どもたちは小学生の時から、自分の衣服の洗濯や、自分の部屋の掃除をしています。親から見たら、きちんとできていなくて汚いんだけれども、本人が良ければそれでいい。日本の親は家事を全部やってあげることで、子どもが勉強をする時間をつくりたいのかもしれないけれど、洗濯や掃除も立派な勉強ですよ。
-- サコさんの親御さんの教育はいかがでしたか。
父は「自分で苦労を覚えろ」とよく言っていました。苦労するほうが、手に入れたものの大切さもわかり、思い出にもなると。私も、学生たちのアイデアに対して「やめておいたほうがいい」と言ったことは一度もありません。自分で失敗して覚えるのが大事だから、チャレンジする前にやめさせることはしません。「やってみたらいいやん」って言いますね。
-- 日本人にとって、今までの当たり前が当たり前でなくなっていくことを実感しました。本日はありがとうございました。
と き:2022年9月6日
と こ ろ:西新橋・当社東京支社にて