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三洋化成ニュース No.537
2023.03.16
先日、高校時代に撮影した国鉄時代のローカル線の写真を何げなくSNSにアップした時のこと。今は三陸鉄道リアス線になっている国鉄盛線という路線の写真で、撮影したのは1983年の夏。当時、鉄道研究部に所属していた僕が、列車に乗る直前に何げなく撮ったスナップ写真です。僕は甫嶺駅に進入してくる気動車をメインに、ホームに立つ身重のお母さんと手をつなぐ女の子を入れて撮影しました。
するとSNSに上げた写真を見た女性から「これは私の家族です!」というメッセージをいただきました。その女性は写真に写っている人物ではなく、なんとお母さんのおなかの中にいた赤ちゃんでした。写真に写っているお母さんとお姉さんは今もお元気で、この写真がきっかけとなり思い出話に花が咲いたそうです。
お母さんが着ているマタニティーウェアは、今も大切に持っているということ。お姉さんのかぶっていた帽子は、今は亡き祖父が買ってくれたものだということ。女性はこれまで知らなかった、家族にまつわるエピソードを知ることができてタイムスリップしたかのような気持ちになりましたと伝えてくれました。そしてメッセージには、3人の今の姿を捉えた1枚のスナップ写真が添えられていたのです。わざわざお父さん抜きで、僕の写真の登場人物のみで撮ったという(笑)記念写真に写る3人は、みんな笑顔。その写真を見た時、なぜか僕は涙を流してしまいました。
甫嶺駅付近は、東日本大震災で壊滅的な被害を受けた場所でもあります。40年前のローカル線の日常を写した1枚の写真と、現在の笑顔の記念写真の間には、さまざまなドラマがあったに違いありません。昔たまたま写った人物から連絡をもらっただけという特別に感動的なストーリーではありませんが、写真が持つ不思議な力を強く感じると同時に、今ある穏やかな日常は何げない瞬間の積み重ねなのだなと、強く心を揺さぶられるエピソードになりました。
このゆる鉄ファインダーの連載を開始したのは、2020年5月に発行された2020年初夏号。あれから3年の月日が経ち、世界は大きく変わりました。
世界的な疫病の蔓延、政治家の暗殺、戦争の勃発など、後世の歴史の教科書に掲載されそうなレベルの事象が次々と起こり、この先どんな未来が待っているのか、連載開始当時よりも見えにくくなっていることに驚かされます。
そんななか改めて実感しているのが、日常の大切さです。僕たちが当たり前だと思っている日常がいかに大切で、いかにもろいものであるかを身に染みて感じるようになりました。だからこそ僕は今まで以上に大切に、鉄道が走る日常風景に向けてシャッターを切りたいと強く思っています。
最終回である今回、僕が選んだ作品は世界中の鉄道で出会った笑顔の写真たちです。
上の写真は、三陸鉄道で運転士になったばかりの若者を撮影したもの。手にしているのは、彼が小学生の頃に僕が撮影したスナップ写真です。その写真を撮影した2012年当時、僕は旅で出会った人の笑顔の写真を撮らせてもらい、その人の夢を聞く『DREAM TRAIN』という作品の撮影に取り組んでいました。そんな時に、三陸鉄道北リアス線沿線で出会ったのが、雪遊びをする小学生。その夢はずばり、「三陸鉄道の運転士になるっ!」でした。それから8年半後、見事に夢をかなえた瞬間の笑顔は少しぎこちないけれど、夢をかなえたという自信に満ちた表情は、今も忘れられません。
そのほかの全ての笑顔にも、僕の知らない素敵なエピソードがあふれているに違いありません。
そう、ここに掲載した全ての写真は、世界中の鉄道を旅して集めた、僕の大切な宝物なのです。
写真にはさまざまな力があります。戦争や被災地の厳しい現実をダイレクトに伝える、写真本来が持つ強い力。魅力的でないものを魅力的に見せる、うそっぱちの力も写真の力です。でも僕が信じたいのは、僕の写真を見た時に思わず笑顔になるような、優しい写真の力です。
ここに写っている笑顔の多くは撮り手である僕に向けられたものですが、僕の写真を通して被写体の人たちの笑顔は写真を見ている人に向けられ、そして写真を見る人もまた、笑顔になるのです。
写真の力で世界を変えたい。なんて大仰なことは言えないけれど、僕の写真を見た人のうちのたった一人でも笑顔になり、心が穏やかになれば、僕はとても幸せなのです。これからも僕は素敵な笑顔を探して、世界中の鉄道の旅を続けていきたいと思います。
3年にわたる連載をご覧いただき、ありがとうございました。
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