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[vol.5] アマゾン熱帯林の民マチゲンガ(1)

三洋化成ニュース No.542

[vol.5] アマゾン熱帯林の民マチゲンガ(1)

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2024.01.19

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文・写真=探検家 関野吉晴

弓矢で猿を射て、食料を調達する

 

旅程:1973年6~11月 南米、アマゾン

 

よそ者と交流のない先住民、マチゲンガ

急流では岩にぶつからないよう、いかだを降りて操作する。緩やかなところではいかだに乗り竿でコントロールする。積んでいるのは、叩くと毒汁を出すコーギという木。川に入れると魚が麻痺して浮く。人間がその魚を食べても麻痺するだけで、問題はない

今から50年ほど前、南米のアマゾンに地図の空白地帯がまだ残っていた時代の話だ。パンチャゴーヤと呼ばれる地域は、外部の人間を寄せ付けない未探検地域で、インカ帝国の首都があったクスコやマチュピチュから百数十キロメートルしか離れていない。インカ帝国が滅びた後、貴族の一部がそこに財宝を持って入っていった、失われた町パイティティつまりエルドラドがあるとも語り継がれている地域だ。またよそ者とはコンタクトのない先住民が暮らしていると聞いて、胸が熱くなった。

周到な準備の後、その先住民「マチゲンガ」に会いたいとペルーに向かった。飛行機、バス、トラック、カヌー、いかだを乗り継いで、2週間かけて、熱帯林に覆われた山の頂にある村に着いた。しかし、私が訪れた時、全員が真っ青な顔をして家から飛び出して、森の中に走り去って行った。

言葉のわかる案内人に、彼らを探してもらい、私が害のない人間であることを説明してもらった。その結果、家に戻ってきてくれた。彼らがいかによそ者を怖がっているかを思い知る事件だった。

1カ月も同じ屋根の下で、バナナ、ユカイモ、トウモロコシなどを食べて居候していると、だいぶ打ち解けることができた。そこで、彼らの名前を聞いてみた。ところが名前がないと言う。なおかつ私に名前を付けろという。どうせ冗談だと思って、父親と母親はトーチャン、カーチャン。子どもたちも、動きが緩慢な子はソロソロ、五男はゴロゴロなど、適当に付けたのだが、彼らはいまだにその名を使っている。年齢も聞いたが、彼らには数字が1、2、3までしかなく、それ以上は「たくさん」になるので、わからなかった。

逆に私に「どこの川から来たの?」と尋ねてきた。東京の国立市に住んでいたので、「多摩川だよ」と答えると「聞いたことないなあ! 遠いのか?」と聞かれた。2週間という表現は彼らにないので「満月から新月になるまでの期間だよ」と答えると「隣の川と同じくらいじゃないか。家族を連れてくれば」と同情されてしまった。

トーチャン一家の住む村。昔は2、3家族が暮らしていることが多かったが、今はもっと大勢が集まって住む。学校ができると人が集まる

 

14、15歳頃のゴロゴロ

 

森と川だけの世界 自然の循環の中で生きる

イグアナを襲うオセロット(やまねこの一種)。マチゲンガはオセロットは食べないが、イグアナはおいしい食料

 

彼らの頭の中にある地図は森と川だけでできている。海や砂漠などは見たことがないだけでなく、その存在さえ知らないのだ。

家に泊めてもらい、彼らの暮らしぶりをみていると、私たちとの違いに気が付く。家の中で、素材がわからないものがないのだ。彼らの使っているものは全て生物資源だけでできていて、必要なものは全て自然から取ってきて自分で作っているからだ。

さらに印象的だったのは、彼らのゴミ、排泄物、死体の扱い方だ。彼らも当然、バナナ、イモの皮や壊れた籠などゴミを出す。きれい好きな彼らはきちんと掃除をして、ゴミを集めて森の中に捨てに行く。これが森の動物や虫、微生物によって分解され、ちゃんと土に返るのだ。排泄物や死体も同じで、彼らは自然の中で用を足し、死体は土葬にする。彼らのゴミ、排泄物、死体は土になり、植物の栄養になり、それは動物の栄養になる。彼らは野生動物と同じように、自然の循環の輪の中にいるのだ。

それに対して、我々は自然の循環の輪から外れてしまっている。出るゴミは全て燃やすことで二酸化炭素に変換される。排泄物も最終的には固形化され、燃やされる。死体も、火葬により二酸化炭素になる。自然にはなんの役にも立たないわけだ。

コンゴウインコの群れ。マチゲンガにとっては食料。羽が大きいので安定した矢羽根としても使う

 

熱帯林を守るマチゲンガの焼き畑農業

木を斧で切り倒し、焼き畑を作る

 

ペルー・アマゾンの熱帯林で、マチゲンガは狩猟・採集をして暮らしている。狩猟は男の役割、採集は女性の役割だ。アマゾンには400を超える民族がいるが、ほとんどの民族が焼き畑をしている。

アマゾン・ハイウェーなどの拡張、牛の放牧、ダムの建設、金などの鉱物資源の開発などによって熱帯雨林の破壊が進んでいる。その中で先住民の焼き畑農業は特異な位置を占めている。

実際、アマゾンの森の中を歩いてみて、驚くことがいくつかある。陽光が地面に届いていないため、下生えが極めて少ない。周りを見渡してみる。すると同じ植物がほとんどないことに気付く。

見た目とは違い、もともとアンデス東斜面の土地は貧しい。うっそうと茂った樹冠で強い雨を支え、根の張り方や必要とする養分の違う多様な木々があることによって、かろうじて熱帯林は生き延びている。それがなければ、強い日差しで養分は昇華し、さらに強い雨で流出してしまう。

先住民たちは、多くの作物を混ぜて植え、2年経つと別の土地に移動する。そうすると数十年かかるが、再び森は回復する。一方、牧場や単一作物のプランテーションは強い日差しと強い雨に土地をさらすことになり、砂漠化し、不毛の土地になる。2年経つとは衰えるので化学肥料、農薬を使うことになる。さらに土壌が痛めつけられる。

またマチゲンガは自分たちが食べるために焼き畑をして、作物を食べ、そこで排泄している。しかし、プランテーションでは基本的に外で売るために栽培している。そのため、作物を外に運び出す。その土地の養分と水分を外に運び出してしまうのだ。

先住民の焼き畑農業こそが、その土地を最も有効利用し、なおかつ熱帯林を壊さない方法なのだ。生態学者の研究により、彼らがいかに熱帯林の生態学を熟知しているかがわかってきた。

大人が作ったいかだで遊んで操作を覚え、生活の技術を学ぶ子ども

 

弓矢でイノシシを狩り、いかだで帰る

 

関野 吉晴〈せきの よしはる〉

1949年東京生まれ。一橋大学在学中に同大探検部を創設し、アマゾン全域踏査隊長としてアマゾン川全域を下る。1993年から、アフリカに誕生した人類がユーラシア大陸を通ってアメリカ大陸にまで拡散していった約5万3千kmの行程を遡行する旅「グレートジャーニー」を開始。南米最先端ナバリーノ島を出発し、10年の歳月をかけて、2002年2月10日タンザニア・ラエトリにゴールした。「新グレートジャーニー 日本列島にやって来た人々」は2004年7月にロシア・アムール川上流を出発し、「北方ルート」「南方ルート」を終え、「海のルート」は2011年6月13日に石垣島にゴールした。

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