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三洋化成ニュース No.544
2024.07.11
京の夏は暑い。ただし、過去の最高気温は2018年7月19日と1994年8月8日に記録した39.8度で、全国のレコードの上位20位にも入っていない(全国の最高値は41.1度)。それにもかかわらず京都の夏が暑いことは東京人も知ることである。猛烈な暑さというより、「肌にまとわりつくような暑さ」だろうか。こういう暑さが3週間も4週間も続くと、体力は奪われ食欲もすっかり失われる。建物にも自動車にもエアコンが装備されている今でさえそうなのだから、昔はこの暑さは生死に関わった。
この暑さの故に、京都の夏には独特の料理が発達した。その一つが鱧料理である、といわれている。ただし鱧が食べられるのは夏には限らない。鱧の季節は4月末頃に始まり11月中頃まで続く。この間、鱧は3回楽しむことができる。一回目は5月の連休頃に出回る鱧で、走りの鱧という。これはあぶって食べるのがよい。秋の鱧は名残の鱧と呼ばれるもので、脂が乗り、食欲の秋にふさわしい味になる。土瓶蒸しが代表的な料理だろうか。けれど、一番の旬は盛夏の頃、ちょうど祇園祭の頃の鱧で、盛りの鱧といわれる。何といっても鱧はこの季節に食べるのが一番である。さっとゆでて氷水に取り梅肉で食べる。これが鱧のおとしである。梅肉とはすりつぶした梅干しのペーストを酒やみりんなどでのばしたもので、京都の料理屋はもっぱらこれを使う。
なぜ鱧は京都でこうもよく食べられるようになったのか。ものの本には、よく、鱧は生命力が旺盛で生きたまま京都まで運んでこられるのが鱧くらいのものだったからと書かれている。だがこれだけ冷凍技術が発達し、世界中の海で捕れた魚が運ばれてくる時代にも夏の魚は鱧、と京都人をしていわしめるのは、やはり鱧がうまい魚であるからにほかならない。
盛りの鱧のもう一つの食べ方が鱧の棒寿司ではなかろうか。一匹の鱧を丁寧に素焼きし、甘辛のたれにさっとくぐらせ、皮目を下にして酢飯に載せて布巾で固く巻く。実山椒を散らすこともある。これを竹の皮でしっかりと巻いて届け物にする。料理屋から鱧寿司が届くようになったら常連として認められたものだと聞いたことがあるが、なるほど、この鱧の棒寿司は夏の一級の贈り物のように思う。
料理人にとって、鱧料理は特別の意味を持っている。席数の限られたカウンターの前で、主人が鱧の骨切りを始める。鱧は身に無数の細い小骨を持つ。あまりにその数が多すぎて骨抜きなどで取り切れるものではない。それで、アナゴのように開いて背骨を取り去った後、その無数の小骨を専用の庖丁で皮一枚を残して断ち切るのだ。これが骨切り。シャキッ、シャキッとリズミカルな音がすると、カウンターに座った客たちも箸を休めてその作業に見入る。「一寸幅に二五本」ともいわれるその作業で、骨片が舌に触るようなことは間違ってもあり得ない。骨切りは料理人たちがその技を客に披露する見せ場なのだ。
夏の京都で話題になるものがもう一つある。それが「納涼床」である。二条通と五条通の間の鴨川西岸に立ち並ぶ飲食店が、5月から9月までの間、川面に張り出すようにオープンテラス風の席を設けるのだ。川を渡る風が心地よく、また西側の母屋が午後の日差しを遮ってくれる。だから西側なのだ。川床は江戸時代初期の絵図などにも登場するから、その歴史は相当に古い。以前は京料理の店ばかりだったが、最近では中華、フレンチ、タイ料理などというのも登場し、国際色豊かになった。
鴨川の支流の一つ、貴船川の上流にある貴船という集落にも、納涼床と似た仕掛けがある。ここでは床は「ゆか」とは呼ばず「川床」と呼ぶ。川幅も狭く清流の上に桟敷を設ける店が何軒もあるが、市内よりははるかに涼しく、涼を取るにはもってこいの場所である。
京都人の夏の食は、「鱧しかなかった」「ひたすら暑さを耐え忍ぶ」といった消極的なものばかりではなかった。その暑さを逆手に取る優れた知恵と技の結晶でもある。そしてその「締め」がお盆である。一家そろって精進料理を食べ、ハイライト「五山の送り火」(8月16日)で祖先の霊をあの世に送り返すと、長かった夏もようやく終わりを告げるのである。
1952年、和歌山県生まれ。1979年、京都大学大学院農学研究科修士課程修了。国立遺伝学研究所研究員、静岡大学農学部助教授、総合地球環境学研究所副所長、大学共同利用機関法人人間文化研究機構理事などを経て、京都府立大学文学部和食文化学科特別専任教授、京都和食文化研究センター副センター長、ふじのくに地球環境史ミュージアム館長。農学博士。京都市文化功労者。著書に『京都の食文化』『知っておきたい和食の文化』『食べるとはどういうことか』『米の日本史』など。