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三洋化成ニュース No.508
2018.05.10
文・写真=きのこ写真家 新井文彦
森にひっそり生えている、きのこが好きだ。
きのこが好き、と言うと、食物として好きだと思われがちだが、ぼくは、きのこを食べることにそれほど興味がない(ただし、森でマツタケやポルチーニ茸を見つけようものなら話は別!)。大自然に生きる草花や昆虫や鳥や動物などと同じく、きのこの容姿が好きで、生物的に興味を持っている。
ぼくの生業は写真を撮ることだ。原生林という舞台で、モデルさん(主に、きのこ、粘菌[変形菌]、コケなど、いわゆる隠花植物)を、いかに可愛く、いかに美しく撮るか、いつもそればかり考えている。
天を突くように林立する巨樹や、可愛いリスに勇猛なクマさん、美しく可憐な花など、森には魅力的な被写体がたくさんあるのに、なぜ、きのこの写真ばかり撮っているのか?
そんな疑問を持つ方もきっといらっしゃるだろう。いい機会をいただいたので、その美しさ、その存在感、そして、森における生態系的役割も含めて、きのこは森の主役と言うにふさわしいと、『三洋化成ニュース』の読者の皆様にお伝えしたいと思う。
では、早速、ぼくが愛してやまない「きのこの森」へとご案内することにしよう。
ぼくの撮影のメインフィールドは、北海道の阿寒摩周国立公園にある、阿寒湖周辺の森だ。この10年ほど、6月から10月まで滞在して、ほぼ毎日、森へ通っている。ところで、北海道と本州を隔てる津軽海峡に、ブラキストン線と呼ばれる、動植物分布の境界線が引かれているのをご存じだろうか(もちろん、目には見えない)。
例えば、ヒグマやシマフクロウは本州以南には生息していないし、ツキノワグマやライチョウは北海道にいない。植物も同様で、阿寒湖周辺では一般的な樹木であるエゾマツやトドマツは、北海道以外ではほぼ見ることができない。同じ日本であっても、北海道と本州以南の自然環境は、本当に線引きされているかのように異なっている。
北海道で見られる亜寒帯の森は、マツなどを中心にした針葉樹林が主流だと思っている人がいるかもしれないが、道東地方で多く見られる森林形態は、針葉樹と広葉樹が入り混じった針広混交林だ。
今回ご紹介する阿寒川の源流部では、トドマツとアカエゾマツを中心にした針葉樹、ミズナラ、カツラ、ダケカンバ、イタヤカエデをはじめとする各種広葉樹が、広大な森を形成している。
きのこは、カビや酵母と同じ菌類だ。植物よりも動物に近い存在で、光合成をせずに外部から栄養を摂取して生きている。「木の子」という名前から想像できるように、木々との関係は深い。
きのこの発生場所は、針葉樹、広葉樹、樹木以外(虫など)、そして地面と、大まかに四つに分けることができる。自然環境が多様であれば、当然、多様なきのこが発生する。1995年頃に行われた北海道大学の調査によれば、阿寒国立公園(当時)では、約600種のきのこが確認され、いちばん多くの種が見つかった森林形態は、やはり針広混交林だった。
生木、枯木、倒木、落葉、動物の糞など、天然の森にはきのこの「好物」がたくさんある。枯木や落葉といった生物遺骸をきのこが食べなければ(分解しなければ)、森はたちまち、枯木や落葉であふれてしまうだろう(生物遺骸の分解には、昆虫や土壌生物や微生物も寄与するが、樹木に含まれる難分解性のリグニンなどを分解するには、きのこをはじめとする菌類の存在が不可欠)。きのこ愛好者としては、森を森たらしめているのはきのこの力が大きいと、ここで力説しておきたい。
亜寒帯の森は、寒冷で、きのこが生きていく環境としてはやや厳しいはずだが、発生種類や発生数をみると、ここ北海道阿寒地方のきのこの森っぷりは、日本有数ではないかと思う。
阿寒湖周辺の森では、厳寒期に最低気温がマイナス30℃を下回ることもあり、5月の声を聞き、林床で早春の草花が花を咲かせても、冬の様相は残る。それゆえ、7月下旬くらいまで、新緑の雰囲気を堪能することができる。
森へ一歩足を踏み入れる……。
すぐさま世界が一変する。鼻腔をくすぐる、少し湿り気を帯びたような独特の香り。川のせせらぎ。耳をすませば、通奏低音のように響きわたっている昆虫たちの羽音も聞こえる。川沿いや巨木が倒れた周辺では、広葉樹が多く生い茂り、幅広の葉が太陽の光にきらめいて、鮮やかな緑の光を透過させる。
知らず知らずのうちに五感が総動員され、自分の中に眠っていた野生が少しだけ目を覚ます……。
釣り人が付けた踏み跡をたどって川下へ向かうと、河原の至る所で温泉が湧き出している。10月の声を聞く頃には、広葉樹の葉が赤や黄に色付き、見事としか形容できない、渓流と紅葉ときのこの組み合わせが堪能できる。
きのこは秋のイメージが強いが、実は、ほぼ一年中見ることができる。サルノコシカケの仲間などは多年生なので、冬でも見られる。
この連載から、さまざまな季節の森ときのこ、両方の魅力を皆様に感じていただけたら幸いである。